2024年の年末、10年以上連れ添った愛猫のジジが「血管肉腫」と診断され、命の危機に瀕した時、私は”愛猫の死”という未来を初めて現実的に受け止めた気がします。
ペットロスはもちろん苦しいけれど、飼い主って愛猫を失う前にも相当な苦しみや悲しみを感じますよね。特に病気の治療中は「この子にとって最善の治療はなんだろう」と悩み、衰弱していく姿を目にすると「他にできることがあったのでは…」と自分を責めてしまうこともあるもの。
そういう時、自分の心をどう守り、”愛猫を失う”という残酷な現実と向き合えばいいのか…。今回は私なりに考えた、「心の守り方」を伝えたいと思います。
飼い主が選択した治療はいつだって「最善」
愛猫と二人三脚で闘病生活を頑張っていると、大きなプレッシャーを感じることがあります。例えば、治療方針の選択。自分とは違う言葉を話すこの子は、どんな治療を望んでいるのだろうと思い、自分が選んだ治療の方向性に自信が持てなくなることってあるものですよね。
私も正直、ジジの「血管肉腫」がこの先、転移したら、どんな方法で命を紡いでいこうかと悩むことがあります。

人間だって緩和ケアを望む方もいれば、積極的な治療を願う方もいる。猫もそうなのかもしれないから、愛猫の本心を知りたくてたまらなくなります。
ただ、その一方で思うんです。1番、愛猫をそばでみて、知ってきた飼い主さんが選ぶのならが、それこそがその子にとって”最善の選択”なのだろうなとも。
人間と猫はどう頑張っても言葉の壁を乗り越えられないけれど、心では繋がり合えている。それって、冷静に考えるとすごく深い絆だと思う。だって、人間相手なら、家族だってこれほどまでに繋がりあえることは少ないから。

言葉を交わさなくても要求や感情がなんとなく分かる関係性って、そうそうない。
だから、そういう絆を紡いでこられた”愛猫とのこれまで”にどうか自信を持って、自分の選択を赦してほしい。一番の理解者であろうと頑張ってきた飼い主さんが決断した治療なら、どんな選択であれ、きっと愛猫にとっては最善で正解。

愛ある日々を紡ぎ、それでもなお「この子の気持ちを知りたい」と願う飼い主さんの選択を愛猫は責めない。
それに、飼い主さんが下す決断は大切な命を最後まで守ろうとした証でもある。どうか、自分を責めずに心を守ってほしいと思うんです。
「最適」な選択ができなかった時も自分を責めないで
ジジの急変時、私が痛感したのは、どれだけ頑張っても住んでいる地域や急変のタイミングによっては命を救うことが難しい場合もあるという現実の厳しさでした。
私が住んでいる地域は田舎で、24時間対応の動物病院はありません。そして、年末年始などの長期連休中は夜間に急変すると、診てもらえる動物病院が見つかりません。

長期連休中の夜間診療に対応するとネット上に記されていた動物病院でも、大晦日に実際、連絡してみると、繋がらず。頼みの綱が切れてしまった私はパニックになってしまいました。
残酷で悲しいけれど、まだまだ動物の命が重視されているとは言いがたいこの社会では、住んでいる地域や急変の時期によって助けられない命が、たしかにある。でも、それは飼い主さんのせいじゃない。自力ではどうにもできない問題で、社会が向き合っていかねばならない課題です。

だから、たとえ最適な対処や治療ができなかったとしても、自分の選択を責めないでほしい。「異変に気づけなかった…」と、自分を追い込まなくていい。「どうしても救いたかった」という想いは、絶対”あの子”に届いていたと思うから。
悔しさをバネにすることは難しいけれど、動物の世界でも命の取捨選択が起きないよう、自分にできることを考えていきたい。少しずつ、動物医療がより便利で心強いものになっていくことを心から願っています。
”この瞬間”を精一杯、共に生きる
月並みな言葉だけれど、愛猫の治療中って、この決意を心にドンと置いておくことがすごく大事だと思うんです。
闘病中って、どうしても小難しい顔になるし、涙がたくさん出る。検査結果に一喜一憂して、ふとした瞬間に”この子がいない未来”が頭をよぎることもある。
私もジジの闘病がスタートした当初、予後が不明な「血管肉腫」という病名の重みに戸惑い、「どれくらい生きられるのか…」とネットで情報を検索しまくっては泣く日々でした。

でも、病気前と打って変わって私を後追いし、常にそばにいたがるようになったジジの姿を見て、気づいたんです。ああ、余計な心配をさせてしまっているな…と。
いつも泣いている飼い主の姿が瞳に映る生活は、心優しいジジにとってはきっと苦しいものだったはずです。一緒にいられる時間が短いかもしれないのに、私はこの子の心に負担をかけている。自分本位な寄り添い方しかしていないと思いました。
猫も人間と同じで、ストレスが健康に及ぼす影響は大きい。だから、余計な心配をかけないよう、まずは私が覚悟を決めなければいけないと気づき、決心しました。たとえ、一緒に過ごせる時間が短かったとしても密度の濃い時間にする、って。

そう誓ってからは涙を流すことが減り、気持ちが少しずつ前向きになっていきました。猫の「血管肉腫」は予後が不明な分、奇跡だって起きる可能性があるよ。私とジジなら、きっと大丈夫。そう語りかけられるようにもなりました。
愛猫と一緒にいられる時間が短いかもしれないという現実を受け入れるのは、とても苦しいものです。でも、それを受け入れてこそできるメンタルケアもあると、個人的には思います。

無理やり前を向こうぜと言うわけではないけれど、大好きな愛猫の瞳に1秒でも多く、笑顔の自分を映し、ほくほくさせてあげることは飼い主さんにしかできない大事なメンタルケアのひとつ。
ゆっくりでいいから、飼い主さんのためにも猫さんのためにも、涙に暮れすぎない闘病生活の過ごし方を見つけられたらいいな。
こんな風に色々、心の守り方を考えてはいるけれど、きっと”最期の時”が近づいたら、大泣きする自分がいることも分かってる。でも、それでいいと思う。何十年もそばにいてくれた温もりを失う痛みは、そういうものであると思うから。
猫は愛を教えてくれる生き物。だから、下僕に選ばれた人間も最期まで色々な方法で「大切だよ」「大好きだよ」と愛を伝えていけたらいいですね。
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