ペットロスで消えない後悔と罪悪感――当事者が見つけた“自己否定”から少しずつ解放される方法

猫のペットロスで消えない後悔と罪悪感――当事者が見つけた“自己否定”から少しずつ解放される方法

できることは全部やった。そう思っても、いつも隣にいてくれた愛猫の姿がなくなると、自分が下してきた選択の正しさを疑ってしまうこともあります。

もし、あの時、他の選択をしていたら…。そんな”たられば”が止まらなくなり、自分で自分を赦せず、心がより苦しくなるのはペットロス後には起こりえること。

今回はそんな時に思い出してほしい、心を守る考え方をお伝えします。

亡き愛猫のためにも「自己否定」から解放されたくて

実際、私自身も自分が下した選択の正しさが分からなくなり、ペットロス後には激しく自分を責めました。正直、今でも完全に「あの選択で正解だった」とは思えない部分もあります。

ただ、ある時、ふと思った。このまま自己否定し続け、悲しさ100%の日々を過ごしていたら、天国の愛猫に心配をかけてしまうんじゃないか、と。

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亡き愛猫のためにも「自己否定」から解放されたくて

愛猫のジジは、私が「死」を受け入れられるまで頑張って生きてくれていたように感じた最期でした。「まだ私がいないと、あなたはダメでしょ?」とでも言っているかのように、胸水が溜まって息が苦しくても、ご飯を食べ、命を紡ぎ続けてくれた。

息を引き取ったのは、「もうジジの好きにしていいよ。私は、どんなジジの意志も尊重する」と告げてからでした。

優しいあの子はきっと、そう言われないと安心して逝けない親心のようなものを持ちながら、ずっと私を見守っていてくれたんだと思います。

優しいあの子はきっと、そう言われないと安心して逝けない親心のようなものを持ちながら、ずっと私を見守っていてくれたんだと思います。

命がギリギリな時まで私を気遣ってくれたジジを、未だに心配させるのは嫌だ。そう思って、私は自分なりに自らが下してきた選択を受け入れ、自分を赦す考え方を探すことにしました。

これから紹介するのは、あくまでも私が辿り着いた”自分の赦し方”です。万人に通用するとは思いませんが、自己否定し続ける日々が少しでも変わるきっかけになれば嬉しいな。

①客観的に愛猫の写真を見返してみる

ペットロス後、自己否定が強くなると、「あの子は私と暮らしていて幸せだったのだろうか」とか「他の人に迎えられていたほうが長生きできたのでは…」など、マイナスな考えが浮かびやすくなります。

そんな時は、これまで撮りためてきた愛猫の写真や動画を見返してみてほしい。お喋りやスリスリをしてくれたり、心を許しているからこそのツンツン行動を見せてくれたりと、あなたが飼い主だからこそ見せてくれた愛猫なりの愛情表現が、そこにはたくさん収められているはず。

①客観的に愛猫の写真を見返してみる

主観を交えずに、そういう姿を客観的に見ると、きっと思える。「こんな私でもあの子を少しは幸せにできたのかもな」って。

ペットロス直後は生前の姿を見ること自体、心理的に難しいことが多いので、この方法は「今なら見られるかも…」と思ったタイミングで試すのがおすすめです。

画面越しの愛猫はきっと、あなたが記憶している以上に幸せ&満足そうな表情をしているはず。悲しい時や辛い時は主観的な考えが暴走してしまうことも多いからこそ、一度、冷静になって客観的視点で、これまで歩んできた愛猫との日々を振り返ってみてほしいです。

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②「できなかったこと」だけではなく、「してあげられたこと」も思い出す

愛猫を失ってしばらくの間、私は骨壺を抱きしめ、できなかったことを謝り続けていました。

病気を治せなくてごめん。無理やりにでも、違う病院へ連れて行く厳しさを持てなくてごめん。体へのリスクを思ってのことだったけれど、積極的治療よりも緩和ケアを選んでしまってごめん。

②「できなかったこと」だけではなく、「してあげられたこと」も思い出す

そして何より、あなたの体のことなのに、飼い主であるという理由だけで全部、人間側の意志で治療方針を決めてしまって本当にごめん。そんないくつもの「ごめん」を、ひたすら伝え続けていました。

でも、ある日、夫に言われたんです。「救えなかったけれど、俺たちはよく頑張ったよ。年末年始に診てくれる病院を必死で探したし、君は入院中、毎日お見舞いにも行ってたよね。その時できる治療も受けさせてあげてたじゃない。してあげられたことだって、とても多かったと思うよ」と。

②「できなかったこと」だけではなく、「してあげられたこと」も思い出す

傍からすれば、そんな風に見えていたのか…。そう気づくと同時に私は自分自身が一番、愛猫に「してあげられたこと」を理解できていなかったのだと痛感しました。

がむしゃらに動いた時って、時間の経過があっという間。嫌な記憶や後悔は頭に強く残るから、人は自分が「できたこと」は、”なかったこと”として扱ったり、「して当然なこと」と軽視してしまう。

でも、よく振り返れば、私はたしかに必死にジジを助けようと、いつも一生懸命だった。

でも、よく振り返れば、私はたしかに必死にジジを助けようと、いつも一生懸命だった。

そう気づき、自分がしてきた行動に対する捉え方が変わると、心が少し楽になりました。

SNSを見ていると、私と似たように「できなかったこと」を悔やみ、「できたこと」を認められていない方は多い印象を受けます。だからこそ、伝えたい。100%の正解がない闘病生活の中で、あなたは間違いなく、最善を尽くそうと、これ以上ないほど愛猫を愛しました。

そんな自分の選択を卑下せず、「できたこともあった」という事実を認めて、自分を少しでも赦してあげてほしい。

そんな自分の選択を卑下せず、「できたこともあった」という事実を認めて、自分を少しでも赦してあげてほしい。

「できたこと」や、当時のあなたが悩んで下した選択があったから、愛猫はきっと1日でも長く生きることができたのだと私は思うのです。

③「赦せない自分」がいたっていい

嫌な自分って、どうにかして排除したくなる。”嫌いな自分”が表に顔を出すと、心が辛くなる。だから、愛猫の死を経験して「赦せない私」が出てきた時も「こんな自分じゃダメだ」と思ってしまいやすい。

でも、私は「赦せない自分」がいたっていいと思う。だって、それは本当に愛猫のことが大切で、命を守りたかったという優しい気持ちから生まれた自分だから。

③「赦せない自分」がいたっていい

自分の選択は正しかったのか…。そう悩む時間はたしかに苦しいし、日常はできる限り、ハッピーであってほしい。けれど、命を預かっている私たちにはハッピーなことばかり起きないし、苦しい経験やしんどい自問自答を繰り返してこそ、学べることだって多くある。

例えば、愛猫の死を経験しなければ、私たちは愛猫がそばにいてくれる幸せの重みを、こんなにも実感できなかったはず。「ひとつの命を全力で守りたいと」いう熱い気持ちも知ることができないままだったかもしれない。

それに、命を守れなかったという自己卑下は、次に迎える猫や誰かの大切な猫を守るパワーに繋がることもあると思う。

それに、命を守れなかったという自己卑下は、次に迎える猫や誰かの大切な猫を守るパワーに繋がることもあると思う。

悩み、迷いながら下してきた選択の正しさを問うあなたは、自分より他の命を大切に考えられる素敵なところがある人。自分を赦せない日には「あんなに愛しかったから、自分を責めちゃうのは当たり前だよな」と、そのままの気持ちを受け止めることも、心の安定に繋がると私は思います。

無理に明るく振舞わなくても、赦せない自分を痛めつけなくてもいい。できる限り、寝て、食べ、必要ならば専門家のカウンセリングを受けつつ、自己卑下するほど、ひとつの命と真摯に向き合った自分を労わってほしい。

無理に明るく振舞わなくても、赦せない自分を痛めつけなくてもいい。できる限り、寝て、食べ、必要ならば専門家のカウンセリングを受けつつ、自己卑下するほど、ひとつの命と真摯に向き合った自分を労わってほしい。

亡き愛猫が一番望むのはきっと、自分がいなくなった後も大好きな飼い主が元気に暮らしていること。飼い主にできる最期の”猫孝行”のためにも、(私もですが)まずは自分の心を大切にしていけたらいいですね。

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