どうせ、この痛みの深さは自分にしか分からない。どんなに優しい言葉をかけられても心を労わってもらえても、そう思う日がペットロス中にはあるものです。そんな時は“他者からの言葉”ではなく、何かを活用して、自分で自身の心を包み込んであげるのがよいかもしれません。
例えば、音楽。自分の好きなように歌詞を解釈できるので、心境がシンクロする曲に浸ると泣けるし、“分かってもらえた感”で胸がいっぱいになります。私はペットロス後、今回紹介する3曲を繰り返し聞き、自分の心をなだめていました。
”死“があるから”命“なんだと解る「飴玉の唄」
私はもともとBUMP OF CHICKENが大好きなんですが、愛猫ジジの闘病が始まってからは「飴玉の唄」という曲が、心にグサグサ刺さるようになりました。
生きている者は、みないつか死ぬ。出会いの先には、必ず別れがある。そんな自然の摂理は分かっているのに、いざ”その時“が来ると心は不安になるし、最期の日が怖くもなる。「飴玉の唄」は、そんな不安をストレートに歌い上げています。

「愛猫と、もっとずっと一緒にいたい」「一生離れたくない」「置いて行かないで」……この曲の歌詞を噛みしめながら、私は闘病中、何度もそう願い、泣きました。愛猫のガンが分かった日には、泣きながらこの曲を聞いて「一緒に頑張ろう」と声をかけながら帰宅した。

毎月の定期健診日には「まだ一緒にいるんだぞ!」と、祈るような気持ちでこの曲を聞き、車のアクセルを踏んだ。「飴玉の唄」は闘病中、日常に自然と溶け込んでいた曲でした。
また、この曲は綴られている“別れの怖さ”に共感できるだけでなく、別れの受け止め方を考えさせてもくれました。
歌詞に綴られているのは、目に見えず、死ぬこともないであろう神様に一貫して助けを祈らない「僕」の揺れ動く気持ち。「神に救いを求めない」という厳しい選択を自分に課した「僕」は別れの恐怖と対峙し、揺れながらも、「大切な“君”は死んでも僕らの世界では生きている」という答えを導き出します。

哲学的な歌詞だけど、私はこの考え方にすごく救われて。自分自身も、もともと「神様なんていないから何も祈らない」と思うタイプの人間なので、“僕”が抱える「救い」への複雑な気持ちも共感できたし、「僕らの世界では君は生きている」と捉えられたら、愛猫との日々を無理やり“思い出”にしなくてもいいなとも思えたんです。

なお、この曲には「姿が見えて、死があるから命は命なんだ」というメッセージも込められてるように感じられました。そういう歌詞に触れると、自分の中にあった死への考え方も少し変わって。
別れは悲しいけれど、死があるから愛猫との一期一会はより尊くなるし、一緒に過ごせる時間はかけがえのないものになるんだろうな。充電すれば何度でも復活するロボットじゃないからこそ、生き物と過ごす日々はこんなにも愛しいんだ。そう、素直に思え、死を少しだけ受け入れることができた。

これほどまでに別れが苦しいと思える存在と出会えて、私は幸せ者。そう思えもする「飴玉の唄」は、愛猫の闘病中や別れの受け止め方に苦しんでいる人に聴いてほしい1曲です。
骨壺を抱えながら泣き続けた日に染みた「涙そうそう」
ジジが亡くなってからしばらくの間、私は毎晩、骨壺を抱えて泣いていました。今振り返れば、この時期が一番、喪失感が強かったです。
そんな苦しい時期によく聞いていたのが、「涙そうそう」。骨壺を抱きながらBEGINバージョンの「涙そうそう」を流し、スマホに撮りためたジジの写真を何時間も見返していました。

撮りためた日々を振り返っていると、いかに自分がジジからたくさんの笑顔をもらっていたのかが分かり、また涙……。あの子は私が飼い主で幸せだったんだろうか。たくさん笑えていたんだろうかと、考えもしました。
会いたい、恋しい、寂しい……そんな気持ちがストレートに歌われているから、心がシンクロしやすかった。曲を聞いていると、弱音に共感してもらえているようにも感じました。

そして、この曲は恋しさだけでなく、「いつかまた会える日まで生きていく」という静かな強さも歌われていて、心に刺さりました。
「愛猫がいない=何のために生きてる?」と思考が弱気になった時、この曲を聞くと、「もう一度あの子に会えた時、たくさんお土産話を持ってくんだから!」と自分を鼓舞することができた。

私にとっては、前を向けない日のお守りみたいな曲でした。
ベランダで過ごした“別れの間際”が蘇る「風」
ジジが旅立ったのは、5月16日。春らしい空気の中に、少しだけ冬が混じっている時期でした。だからかな。春ソングを聞くと、ジジとの日々をよく思い出します。
しかも、春ソングって出会いと別れをテーマにしたものが多い。聞いていると自然に泣けてきて、困ります。
中でも、ずっと心に刺さったままの春ソングはコブクロの「風」。まだ寒さが残る春をテーマにしたこの曲を聞くと、ジジと過ごした最期の時期が鮮明に蘇ってきます。

我が家では完全室内飼いを徹底していて、ベランダにも愛猫を出したことがありません。でも、ジジが亡くなる1週間ほど前、私はいつもとは違う行動を取りました。ジジを抱き上げ、初めて一緒にベランダへ出たんです。
その選択をしたのは、日当たりのいいベランダをじっと見つめ、窓辺から動かないジジの姿を見たから。あれほどまでに、じっとベランダを見つめている姿を見たのは初めてでした。

普段はすぐ気がそれて、近くにあるもので遊んだり、私の足に抱きついてきたりするのに。
「幼い頃、3ヶ月以上もペットショップで過ごしてきたこの子に、一度だけでも日光の温かさを直接感じさせてあげたいな」 なぜかそんな気持ちがこみあげてきたので、念のため、安全対策を万全にした上で、暴れる気力もないジジを抱き、ベランダへ。

その瞬間、柔らかい風がふわっと吹いて、ジジは鼻をヒクヒク。外の空気を感じ取りながら、目を細め、風を浴びていました。
時間にすれば、ほんの2~3分ほどの”ベランダひなたぼっこ”。それなのに、私の腕の中で日光や風を感じ、目を細めていたジジの表情やあの時間は今も鮮明に思い出せるほど、頭と心に強く残りました。

だから、洗濯物を取り込みにベランダへ出た時、柔らかな風が吹くと泣きそうになるし、コブクロの「風」が頭に流れる。ああいう優しい風を感じながら、虹の橋でも元気に笑っていてほしいな。
人の言葉をシャットダウンしたい気持ちの時でも、曲という形なら心に言葉が入りやすいし、歌詞を通して、これまでとは違った別れや死の捉え方に出会えることもある。音楽の力ってすごいなと、私はペットロスを通じて改めて思いました。
人によって刺さる曲はそれぞれ違うので、他にも「この曲オススメだよ」とか「私はこれに支えられたよ」なんていう曲があれば、ぜひ教えてください。






私も令和6年12月11日に愛猫が逝きました。7歳から腎不全ステージ4でしたが毎日の薬と皮下補液と生命力の強さで7年精一杯生きてくれて14歳3ヶ月で旅立ちました。愛おしい我が子を失い生きがいがなくなりました。一緒に旅立とうと思う事もあります。先月の命日には私は入院をしました。同じ日に逝きたかったので…毎日悲しく苦しく逢いたい、撫でたい、抱きしめたいばかりです。悲しみから解放されたいと思うばかりです。薬は飲んでいます。いつかまた逢えるのだろうか?と思う日々です。
私も猫の保護活動見送り、地域と猫のバランスのために避妊去勢を行ってきました、私は見送りの時一度も涙を流したことがありません。涙を飲んでしまうのです。悲しすぎて泣けなくなってしまうのです。涙をながせる人はうらやましいです。たぶん交通事故死の猫の片付けをしていたからと思います。残酷すぎで涙が、出ません。それなのに笑点番組で抑えた涙が一気にあふれてきます。涙にも種類があるのかもしれませんね。
私は一人で30年間保護活動をして来ました今まで見送った子達は300以上 数が多いから死というお別れにに慣れるものではないですね 今も私の傍らにお別れが近い子が居ます 何回も何回も見送ってますが慣れません お別れは辛いですが私はこう思う様にしてます 私が猫達に見送られなくて良かった 見送ってあげる事が出来て良かった・・・と
最愛の子達を残して逝くことほど辛いことはありません まだまだ何回も泣かなければ・・・
米津玄師さんの「れもん」です。心が張つめて泣けなかったのに涙が。あの子がいなくなった時間は埋められません。でも、そこにいた。確かに一緒にいた。思い出は永遠。みんな苦しんでいるんですね💧
愛猫を亡くす辛さ、毎日居てくれた存在が居なくなる寂しさ、私も耐えられなかった ガンと告げられ余命半年と言われ毎日泣いて、徐々に弱ったいく愛猫と過ごした日を思い出し泣きながら読みました。
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