埋まらない猫型の穴……愛猫を亡くした飼い主 1年後のお盆に決めた「ジジと再会する方法」

埋まらない猫型の穴……愛猫を亡くした飼い主 1年後のお盆に決めた「ジジと再会する方法」

あの子じゃないと埋まらない猫型の穴がある――。愛猫を亡くした方は、ペットロスという5文字で簡単に片付けられやすい痛みを、そう表現します。私もその想いに同感。今年のお盆前には「うちに帰ってきてくれるだろうか」や「ジジの生まれ変わりを保護できる奇跡が起きないかな」と、色々な想いをめぐらせていました。

愛猫の死を受容していたのに…辛かったお盆前

ジジは「血管肉腫」という、猫には珍しい病気を発症。4ヶ月の闘病を経て、昨年5月に亡くなりました。当初は「もっと長く一緒にいたかった」という気持ちが強かった。でも、次第に「あの子は一生懸命、病気と闘ってニャン生を生き切った」と思えるようになりました。

「もっと長く生きてほしかった」という想いが完全に消えたわけではないけれど、そう思っていると天国のジジから「あたし、かなり頑張ったのよ!」とお叱りを受けそうに思えたからです。

一般的に見れば短いニャン生。でも、その子にとっては精一杯生き切った天寿――。そういう命の最期は、ジジ以外の子にもあるように思います。

そんなふうに、少しずつ愛猫の死を受容できるようにはなってきたものの、お盆が近づくと心が不安定に。「ジジは帰ってきてくれるだろうか」と期待する一方で、「死後も帰りたいと思える家や飼い主であれただろうか」と、自分と向き合う時間が増えました。

そんなふうに、少しずつ愛猫の死を受容できるようにはなってきたものの、お盆が近づくと心が不安定に。「ジジは帰ってきてくれるだろうか」と期待する一方で、「死後も帰りたいと思える家や飼い主であれただろうか」と、自分と向き合う時間が増えました。

あの子にとって、私はいい家族であっただろうか。お盆前、私はずっとジジが亡くなった当初に自問自答した「出ないままの答え」を、再び問い続けました。

辛くても「お盆」という風習があってよかった

お盆には、ジジが生前に大好きだったいちごをお供えしたかったのですが、時期外れのためか、スーパーで買えず、「ジジを称え祭る会」計画は最初からつまずいてしまいました。

代わりに買ったのは、好物だった無糖のヨーグルト。私が食べた後、カップに顔を突っ込んでヨーグルトをペロペロしていた姿を思い出し、売り場で少しウルっとしました。

辛くても「お盆」という風習があってよかった

帰宅後、骨壺を撫でながら、「もうお別れして1年も経ったね」と話しかけ、ヨーグルトを食べていると、同居猫たちがそばへ。「ヨーグルトくれくれ」アピールをする愛猫たちの姿を見て、「ジジだけは『待ってたらあげるからね』の言葉が通じて、いつも私が食べ終わるのをじっと待ってたなあ」と在りし日を思い出し、涙がこぼれました。

帰宅後、骨壺を撫でながら、「もうお別れして1年も経ったね」と話しかけ、ヨーグルトを食べていると、同居猫たちがそばへ。「ヨーグルトくれくれ」アピールをする愛猫たちの姿を見て、「ジジだけは『待ってたらあげるからね』の言葉が通じて、いつも私が食べ終わるのをじっと待ってたなあ」と在りし日を思い出し、涙がこぼれました。

お盆くらいは亡くなった当初みたいに「ジジみたいな猫の姿が家の中で見えた」とか「なんとなく気配を感じる」などの不思議な現象が起きてほしい。そう期待していましたが、現実は残酷でリアル。淡々と変わらない日々が過ぎていくだけでした。

いつもにも増して「ジジがいない現実」をまじまじと痛感させられるお盆は正直、辛かったです。でも、同時に、亡くなった大切な存在に想いをじっくり心を寄せられる風習があるのは、いいものだなとも思いました。

いつもにも増して「ジジがいない現実」をまじまじと痛感させられるお盆は正直、辛かったです。でも、同時に、亡くなった大切な存在に想いをじっくり心を寄せられる風習があるのは、いいものだなとも思いました。

せわしない日常の中で色んなタスクに追われていると、今いてくれる愛猫の尊さや亡くなった子に想いを馳せることが難しい日々も多い。だからこそ、まっすぐ命と向き合って、命の尊さや儚さ、その子への愛おしさをしっかり噛みしめることができるお盆という風習がある日本に生まれてよかったと思いました。

待つだけは終わり!ジジの生まれ変わりを「探しにいく」決意

そして、今年のお盆にはひとつ、自分の中に大きな誓いを立てました。「待っているだけじゃなくて、自分もジジの生まれ変わりと出会う努力をしよう」と。

ジジが家の敷地に迷い込んできて再会できる――。私が今まで描いていた再会の妄想は、そんな受動的なものでした。私の実家では代々、猫が亡くなると新しい猫がやってくるという不思議なサイクルがあったので、「我が家もそうなるかも」と思っていた部分があったんです。

待つだけは終わり!ジジの生まれ変わりを「探しにいく」決意

でも、よくよく考えてみれば、ジジは少しドジっ子で抜けているところがある子。「ここだ!」と思って突撃した家が我が家じゃなかった…なんていう、うっかりミスをする可能性もあります。

それなら、自分が外に出る機会を増やし、ジジと出会えるかもしれないチャンスを積極的に作ろうと思いました。動物保護団体さんなどの尽力によって今は、昔よりも野良猫が減ってきています。でも、外で過酷な生活を強いられている猫はまだまだ存在します。

それなら、自分が外に出る機会を増やし、ジジと出会えるかもしれないチャンスを積極的に作ろうと思いました。動物保護団体さんなどの尽力によって今は、昔よりも野良猫が減ってきています。でも、外で過酷な生活を強いられている猫はまだまだ存在します。

もしかしたら、ジジも「私のおうちはどこですか?」と路上で迷子になっているかもしれません。だから、出会いを待つだけでなく、自ら再会を掴みにいこう。そう決意してからは、近所を周りを散歩したり、車で出かける頻度を増やしたりするようになりました。

以前は1週間に1回も外へ出ない日々を送っていたのに、今は「ジジと再会する!」という目標のためだけに、週3~4回は短時間の外出。保健所の「猫ちゃんの飼い主さん募集」も欠かさず、チェックしています。

以前は1週間に1回も外へ出ない日々を送っていたのに、今は「ジジと再会する!」という目標のためだけに、週3~4回は短時間の外出。保健所の「猫ちゃんの飼い主さん募集」も欠かさず、チェックしています。

ジジはきっと、最期のときに伝えた「私は鈍感だからさ、もし生まれ変わるとしたら、ジジですよって分かるサインをちょうだいね」という約束を覚えていてくれるはず。だから、めぐり合えたときには、きっと何かピンとくるものがあると思うんですよね。

愛猫を想い続けることは、弱さじゃない

気持ちを切り替えられず、どうしても亡き愛猫との再会を夢見てしまう――。そんな私の姿は、ジジというひとつの命に固執しているように見えるかもしれません。でも、たとえそう思われてもいい。

「いつかジジと再会する」という夢は、自分が生きている間はもちろん、亡くなってからも、ずっと消えない希望だと思うから。

愛猫を想い続けることは、弱さじゃない

だから、同じ気持ちで愛猫の死から前に進めない人も、その生き方や想いに負い目を感じなくてもいい。深い悲しみやかすかな希望を抱えながら今日を終え、明日を生きることは情けないことじゃない。それだけ真剣にまっすぐ、ひとつの命と向き合った愛の証だと私は思うんですよね。

私もずっと、あの子と会いたい。だから、同じ気持ちの方は私と一緒に、大切なあの子と出会える日をじっくり待ちましょう。

「憧れていた毛色になるため、天国でを必死にガチャを回してるのかも」とか「おやつ食べ放題コーナーの常連になってるのかも」とか、愛猫の性格を踏まえて、天国でのあの子の暮らしぶりを少しユニークに想像してみると、再会を待つ辛さは少し和らぐかもしれません。


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