私は10年以上前から、SNSで愛猫たちとの暮らしを発信しています。昨年、亡くなった愛猫ジジは「個性てんこ盛り」な猫だったこともあり、「スター猫」「人気猫」としてかわいがってもらえ、企業からの案件やコラボ商品の提案を頂く機会も多くありました。
ただ、ジジの病気が発覚した時、ある人から言われた一言が心に刺さり、自分は無意識のうちに愛猫を“ビジネス”として消費していたのではないかと考えるように。「あの子はうちに来て幸せだったのだろうか」という自問自答に苦しめられました。
「この子が亡くなったら稼げないね」愛猫の病気発覚後に言われた言葉に悩んで
なぜ、そんなにもヒゲが曲がっているのか。そして、顔周りの毛だけがボワッ!としているのは、どうしてなのか。ジジは色んな不思議さを持っている、愛くるしい猫でした。
SNSへの投稿を重ねるうちに、かわいがってくださるファンの方が増え、自身が猫の記事を書いているライターであったことも影響して、企業の案件も受けるようにもなりました。

ただ、どんなに有名になったとしても。私にとってジジは初めからプライスレスな存在。人気が出たり、ファンが増えたりしたからといって、ジジへの関わり方や愛情の注ぎ方は変わりませんでした。
それは2匹の同居猫にも言えることです。ジジよりも“猫らしい猫”である彼らはSNSでは脇役になりがち。でも、私にとってはみんな最初から、完璧で愛おしい家族です。
ジジの病気が発覚したのは、2024年の冬。余命宣告もされ、当時の私はジジがいなくなってしまう未来が来ることが怖くて、周囲の人や家族に不安な胸の内を溢していました。

その中で、ある人からサラっと言われたのが「この子が亡くなったら稼げないね」という言葉でした。酷い…。そう感じたけれど、「たしかに第三者から見れば、ジジをビジネス化しているようにも見えるよな」と思い、自分がこれまで積み上げてきたジジとの日々は正しかったのだろうかと考えるようになりました。
罪悪感に押しつぶされそうな心に響いた、カウンセラーの言葉
企業案件の時には、ジジに協力してもらったこともたしかにあった。そして、ジジが持って生まれた個性をSNSに載せ、フォロワーさんとの会話を楽しんでいた自分の行為は、愛猫をビジネス化していなかったと言えるのだろうか。
そのモヤモヤは日ごとに強くなっていき、ジジに「お仕事に協力してもらってごめんね」と謝ったことも何度かありました。

そうした言葉をかけながら闘病を経てジジを看取った後、罪悪感はより悪化。「ジジは、他の人に迎えられたほうが幸せだったのではないか…」と思うようにもなりました。
苦しさに耐えきれなかった私はある日、カウンセリングで思いのすべてを吐き出しました。すると、カウンセラーから返ってきたのは、優しい言葉。「愛を持って関わっていること、写真からも伝わってたよ。ジジちゃんは家族であると同時に、ビジネスパートナーでもあったんだよね」と言ってくれたのです。
そう言われて、涙腺は崩壊。カウンセラーが言ってくれた「家族であり、ビジネスパートナーであった」という捉え方が自分にはすごくしっくりきて。

「そうだ。私はビジネスのためにジジとの日々を投稿していたわけじゃなかった。この子のかわいさを伝えることで、サビ猫が迎えられにくい現状を変えたかったんだ」という初心を思い出すことができました。
スター猫の飼い主として想う「猫ファースト」を貫くことの大切さ
カウンセラーの言う通り、ジジの生前、私はジジでビジネスをしたいと思っていたわけではなく、ジジと一緒に働いていたような感覚でした。いわば、頼れる同僚。いや、心強い先輩のように思っていたかもしれません。

企業の案件に協力してもらう時には、いつもそのままの姿を観察し、「こういう風に改善すると、もっと使いやすくなるのか」と猫目線の意見を学ばせてもらったし、それを企業側へ素直にフィードバック。
企業とのコラボカードを作ってもらった時には嬉しくて、「ジジー!宝物ができたよ!」とお披露目し、ありのままの反応を撮影してSNSに投稿。「こういう絵がほしいからこうして」と私が指示するような上下関係は、私たちの間にはありませんでした。

Xはブルーバッジにしていますが、それは自身が取材した希少難病などの情報が当事者に届きやすくなってほしいからです。実際、まとまった収益が得られたことは数回程度で、そのお金は愛猫たちのご飯代やおやつ代、治療費になっていました。
だから、カウンセラーが言ってくれた「家族であり、ビジネスパートナー」という言葉が自分にとってはすごく腑に落ち、モヤモヤが消えていったんだと思います。

愛猫がどんどん人気になり、「スター猫」と呼ばれる存在になっていくと、飼い主を取り巻く環境は少しずつ、けれど着実に変わっていきます。
ウェブメディアや雑誌、テレビから取材の依頼が来たり、企業から案件の連絡が来たりすると、当初に抱いていた「愛猫のかわいさを見てほしい」というささやかな願いからかけ離れた欲望が生まれることもあるかもしれません。

でも、そんな風に自身を取り巻く環境が変わった時こそ、「猫という生き物とどう向き合うのか」が試されるように思います。
この子をちゃんと愛し抜けた。最期にそう思えるには、自分たちを取り巻く環境が変わっても、「愛猫と対等に向き合えているか」「猫の心をおろそかにしていないか」という視点を持ち続けることが大切なのだとジジの死を通して学びました。
スター性や知名度など関係なく、本来、猫はどの子も等しくかわいい。そんな自分の中にある根本的な「好き」を、これからも忘れないように愛猫たちと関わり、虐げられていきたいです。






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