亡くなった愛猫の写真をSNSに投稿し続けるのはダメ? ペットロスを経験した飼い主が伝えたいこと

亡くなった愛猫の写真をSNSに投稿し続けるのはダメ? ペットロスを経験した飼い主が伝えたいこと

愛猫が亡くなって時間が経っても、心にできた喪失感は埋まらず、悲しみが完全に癒えることはありません。ひとつの命を看取り、見送ることがこんなにも辛いことを、私は猫と暮らしていなければ知ることができませんでした。

そんな溢れ出る愛しさを添えて、亡き愛猫の写真をSNSにアップした時、「いつまで亡くなった愛猫のことを投稿するの?」という言葉が飛んできたら、投稿を躊躇してしまうものです。

でも、それにより気持ちの吐き出し場がなくなることこそが、ペットロスをより深刻化させることに繋がると私は感じています。

亡き愛猫の投稿をすることは「セルフケア」に繋がる

特に、Xでブルーバッチの人や「スター猫」と呼ばれる子の飼い主さんは亡くなった子のことを投稿すると、「いつまでその子の死を、こするの?」と言われやすい傾向にあります。

それは、「動物の死を収益化しないで」や「注目集めに利用しないで」という動物愛ゆえの言葉からかもしれません。

亡き愛猫の投稿をすることは「セルフケア」に繋がる

ただ、そうした思惑などなく、ただただ亡き愛猫に思いを馳せ、在りし日の姿を慈しんでいる飼い主さんのほうがはるかに多いと、私はペットロスの取材を続ける中で感じてきました。

実際、現在のXでは基準が厳しくなったため、収益化は難しく、お金を得られる人はごくわずかです。(私も今は収益対象外です)亡き愛猫の死を話題にして「注目を集めたい」「承認欲求を満たしたい」と思っても、それは一過性で終わってしまうもの。

実際、現在のXでは基準が厳しくなったため、収益化は難しく、お金を得られる人はごくわずかです。(私も今は収益対象外です)亡き愛猫の死を話題にして「注目を集めたい」「承認欲求を満たしたい」と思っても、それは一過性で終わってしまうもの。

それでも飼い主が亡き愛猫のことを投稿し続けるのは、その行為自体が「気持ちの吐き出し法」になっているからだと私は感じます。

「こんなにかわいい子だったんだよ」「まだこんなにも大好きなんだ」と色々な投稿をすることで、飼い主側は少しずつ、在りし日を「思い出」として受け入れられるようになるし、感情を文字にして客観視することで感情の整理も進んでいく。

そういう日々を繰り返して、なんとか心の傷を和らげ、ペットロスと向き合うしかない。それが、ペットロス専門のカウンセラーがいない今、当事者ができるセルフケア法なのだと思います。

SNSなら得られる「同じ温度での悲しみの共感」

私自身はこれまでに一度も、亡き愛猫ジジの写真を掲載した時、辛辣な言葉を向けられたことがありません。でも、投稿する時は正直、迷うことがあります。

「まだこの人、あの子のことネタにしてるよ」と思われないだろうか。「そんなに引きずってたら、ジジが悲しむよ」と言われないだろうか。そう思うけれど、自分の中から溢れだす気持ちが抑えきれなくて投稿ボタンを押すんです。

SNSなら得られる「同じ温度での悲しみの共感」

気持ちを吐き出したいのなら、ノートに書いて自己処理すればいい。そう考える人もいるかもしれませんが、SNSという公の場には、同じ温度で悲しみを共感してくれる相手がいます。

我が家はジジについて話す機会も多いのですが、やっぱり11年を共にしてきた私と、3年間を一緒に過ごした夫とでは、喪失感に対する温度感が違います。

だから、話していて「心が救われた」と思う時もあれば、「こういう部分は、ずっと成長を見てきた自分にしか分からないよな」と思うこともあります。

 

でも、SNSでジジの成長を見守ってくれていたフォロワーさんたちは、限りなく同じ熱量や温度感でジジの死を悼み、今もジジを愛でてくれています。

そういう人たちの温かさに触れると、「ずっとあの子のことを想ってていいんだ」とホっとするし、コメントを交わす中で心が落ち着いていきます。これは、ひとりでノートに感情を書きなぐるだけではできないセルフケアだと私は感じています。

そういう人たちの温かさに触れると、「ずっとあの子のことを想ってていいんだ」とホっとするし、コメントを交わす中で心が落ち着いていきます。これは、ひとりでノートに感情を書きなぐるだけではできないセルフケアだと私は感じています。

そして、生前の“その子”を知らない人であっても、「ペットロスが辛い」という共通の痛みを通して新たな繋がりが生まれ、悲しみを共有でき、孤立が防げるのも、SNSの良さです。

苦しい時ほど人は他人との接触を避けたくなりますが、そうした時に「今、あの子のことを思い出してこんな気持ちになったんだ」と気軽に気持ちを吐き出せ、似た境遇の人と繋がれたら、明日へ向かう気持ちに変化が生じる。

 

苦しい時ほど人は他人との接触を避けたくなりますが、そうした時に「今、あの子のことを思い出してこんな気持ちになったんだ」と気軽に気持ちを吐き出せ、似た境遇の人と繋がれたら、明日へ向かう気持ちに変化が生じる。

誰が誰をどれだけ想い続けるかは、個人の自由です。愛する存在への気持ちに区切りなんてつけられない不器用さを持っているのが人間だと私は思うから、たとえ、誰かに言葉のナイフを向けられたとしても、自分が「もう大丈夫」と想えるまで、亡き愛猫のことを公の場で語っていい。

ブロックやミュート、返信制限、鍵アカウント設定などの機能を使いながら、自分が安心して気持ちを吐き出せる空間で思いっきり、亡き愛猫の話をしてほしい。そういう話を聞きたい人間が、少なくともここに1人、必ず存在しています。

「他人の悲しみ」に引っ張られてしまうあなたへ――自分の心を守るための選択

一方で、ペットロスを経験した人の中には「他の人の愛猫が亡くなった投稿を見ると、自分の心が引っ張られて辛くなる」というタイプの方もいると思います。特に愛猫が亡くなって間もない頃はとても心が苦しい時期なので、それはごく自然な防衛反応です。

そんな時はSNSから一旦離れたり、特定のキーワードやアカウントをミュートしたりして、どうか自分の心を守ってください。

「他人の悲しみ」に引っ張られてしまうあなたへ――自分の心を守るための選択

心が限界な時は他人の幸せや悲しみに対して過敏になり、時に攻撃的な感情を抱くこともあります。真面目な人ほど、そうした時は「自分って最低」と思いやすいものですが、それは限界を迎えた心がこれ以上壊れないよう、必死に自分を守っている証でもあります。

まずは「私って今、限界なんだ」と気づき、他人に理不尽な感情を向けたり、自分を痛めつけたりしないセルフケア法を探してほしい。私自身はカウンセラーに話を聞いてもらったことや遺骨リング、アクスタなどのグッズ制作が救いとなりました。

まずは「私って今、限界なんだ」と気づき、他人に理不尽な感情を向けたり、自分を痛めつけたりしないセルフケア法を探してほしい。私自身はカウンセラーに話を聞いてもらったことや遺骨リング、アクスタなどのグッズ制作が救いとなりました。

最近では、ペットのグリーフケアをサポートしてくれる機関や団体があり、ワークショップなども増えているので、そうしたところに頼るのもひとつの方法です。

そして、抱えている苦しみが言語化できるようになったら、その気持ちを言える人に言える範囲で打ち明けてみるのもいい。そういう相手が周囲にいない場合はSNSで、そっとつぶやいてみるのもいいと思います。

あなたが宝物として大切にしている写真を私は見たいし、同じ気持ちの方は想像以上に多くいることを忘れないでください。

あなたが宝物として大切にしている写真を私は見たいし、同じ気持ちの方は想像以上に多くいることを忘れないでください。

この先、もし誰かに「まだジジの写真を載せてるの?」と言われたとしても、私はずっとSNSにジジの写真を投稿し続けるし、自身のペットロスに関する想いも書き続けます。なぜなら、溢れ出る気持ちをそうやって吐き出すことで生き延びることができる日があるから。

愛しているからこそ、いつまでも大事な子の写真はSNSに投稿していい。吐き出す場所や相手が分からないなら、私のSNSのコメント欄に投稿してくれていい。大切なあの子の話をたくさん聞かせてください。


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