地球上の81億1900万人の人間が、何かものごとにぶち当たって落ち込んだり、悲しんだり、もう明日なんか来なくてもいい!!ガッデム!!って思った時に必ず1度は思ったことがあるだろう。
「猫になりたい。」
あの、毎日ゆるゆると寝る食べる遊ぶを繰り返すわがままに過ごす感じ。クワッとあくびをする時の何も考えてない雰囲気。障害物にぶつかっても冷たい床に寝てもダメージなし、もはや無双状態のモフモフしたバディ。人を釘付けにする魅力的な歩き方。瞬時に奴隷化させてしまうそのくりんくりんの瞳、スマホに録音したら何度も聞き返しハァハァしてしまう、人を骨抜きにしてしまう声。永遠に触っていられる耳の裏あたりの特別にフワフワしたところ。へそ天しただけで注目の的になり、ビミョーな口臭さえも喜ばれ…。
個人的に好きなところが混在しまくってたが、猫になりたい理由を挙げればキリがない。いや、さらに事細かに挙げていくと二日くらいはかかりそうだ。
かくいう筆者も1度や2度や3度も4度、むしろ今現在猫に転生したいと思っている1人である。
ちゃんと知ってみよう
ぽぽねこライターになってからずっと思っていた。猫はとにかく好きだけど、彼らのことはそこまで詳しく知らないのではないかな。こんなネチネチした自分勝手な「愛」だけで彼らを語っていいのかなと。
筆者が「猫になりたい」と床でジタバタしている今がいい機会だと思う。一度きちんと猫の生態を知ろうではないか。
来世のためにも、そして今世で全力で愛猫を愛でるためにも。
そもそも、猫とは
代表的なペットとして犬とワンツーでトップを張り、世界中で飼われている。愛玩動物としても名を馳せる超絶キュートな食肉目猫科猫属の生物。鋭い視覚、敏感な聴覚、優れた嗅覚を持つ。体が非常に柔軟で狭い場所に入ることもでき、高い場所に登ることも容易だ。独立心が強く、縄張り意識が高い。狩猟本能が強く、しばしば遊びながらその本能を発揮する。自分の領域を守るためにマーキング行動や体の動きを使ったコミュニケーションも行う。
肉食である。猫は栄養バランスの取れた食事を必要とし、人間による世話にも一定の注意を要する。健康診断、ワクチンの接種、そして適切なグルーミングが必要。トイレトレーニングは本能レベルで行うので比較的容易。猫は他の訓練に関しては独立した性格のためしつけが難しい。
以上はネット上で拾える生物学的な情報である。シンプルに勉強になった。
愛猫家として個人的に付け足すとしたら、気まま、自由、ワガママ、癒し、小悪魔。出会うんじゃなかった!と後悔するくらい沼る存在。
猫の世界も楽じゃない
しかし、猫だっていろんな猫がいる。
世界中の猫が人間の家の中でぬくぬくと暮らせているわけじゃない。高校生の娘が「帰宅途中にガリガリで毛がバシバシの猫がいたよー」「逃げちゃったけど怪我してる猫がいたよー」なんてパトロールをかねて心配そうな顔で帰ってくることがしばしばある。
今もなお、明日は我が身といった不安定な暮らしを強いられる猫は多い。
私が暮らしを知っているのはほんの超一部の猫だけだ。その一部だけを見て「猫になりたい」なんて、猫からしたらちゃんちゃらおかしい話なのだろう。
しかし、すべての猫に幸せであってほしい。その願いはこれからも揺るがない。
一言で猫といっても
上記の説明で「猫は他の訓練に関してはしつけが難しい。」とある通り、猫とは意思疎通が難しい。この鳴き方は遊びか?このスリスリはごはんか?この態度はお膝の上のご所望か?
想像の域で快か不快かを伺って動かなければならない。
ちなみに我が家の猫たちは、紛れもなくどちらも猫であることにちがいないのだが「個」でいうと全然ちがう猫だったりする。
我が家の黒猫は時計が読めるスーパー猫である。(マジです。)朝の6時、昼の12時、夕方の6時ぴったりに激しく鳴く。空腹時の鳴き方は「おあーんおあーん」5回に一度の割合で「ごはーん」と鳴く。10回に一度は「御飯」と漢字で鳴く。
そして作業に手間取り無視をすると「おかーん!(オカン)」とも鳴く。あんまり放っておくと「ふあーん!(不安)」とも鳴く。こんなに日本語が堪能だなんて…やっぱりスーパー猫である。
そして白猫は空腹になったら静かに私の後方に三つ指を揃えて存在をアピールする。そして、私が振り返ると潤んだ瞳をゆっくりパチクリさせて「みゅん」と短く鳴く。こちらはおそらく「メシ」だ。一声入魂で人をメロメロにし、ごはんを手に入れるコスパよしの白猫もやはりスーパー猫である。
ひとつのシーンでもこんなにちがう。
一言で「猫」と括ることなんて無理なのだ。
何故猫になりたいのか
人間は社会でスムーズにやっていくために遠慮もするし、忖度もするし、頭をフル回転させて穏やかな人間関係を目指し構築に務める。しかも昨今は情報も多く、周りの意見も容易に手に入るから、はみ出さないように生きることをビンビンに意識している。
つまりは日常茶飯事で息苦しいシーンが多い。多すぎる。
それとは対照的に猫は何にも考えていないように見えるのだ。誰の顔色も伺わずにごはんを要求し、自分が遊びたいタイミングでPCのキーボードの上に腰を下ろす。こちらが遊ぼうと言っても、気が向かなければ知らんぷり、眠ければ牙を剥く。
猫になりたいと思ってしまうのは、そんな今の世を生きる人間が心から憧れる自由な生態だから。
今世は愛でる側でいよう
来世は猫になることを夢見るとして、どうやら今世は自分ができることを精一杯することが使命らしい。目の前の猫をこの上なく愛そうじゃないか。
多くの猫飼いが、ゆったりと穏やかに横たわるその姿を見て、愛猫の愛くるしい個の性格を知り「猫になりたい」と心を動かされるが、それは猫と暮らす側の喜びを知っているからではないだろうか。
意思疎通が難しいからこそ、「この家にきて良かった。この飼い主に出会えて良かった。」そう思われるような努力は惜しまないと今世で誓う。
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