【ペットロス体験記】愛猫を亡くしたあの日から…地獄だった1ヶ月間と変わっていった心のかたち

【ペットロス体験記】愛猫を亡くしたあの日から…地獄だった1ヶ月間と変わっていった心のかたち

動物の家族を亡くした苦しみって、人間の家族を亡くした時よりも分かって貰うことが難しい。「たかがペットを亡くしたくらいで…」という言葉で二重に傷つくのが怖くて、抱えている苦しみを周囲に話せないこともあると思います。

だからこそ、たとえ人間ではなくても、その人にとっての”大切な存在”がいなくなることは辛く、苦しいことだと知ってほしい。そんな想いから、今回は私自身のリアルなペットロス後の心境や心の移ろい方を綴りました。

もちろん悲しみの感じ方には個人差がありますが、ペットロス後は良かれと思って言ってくれているであろう周囲の言葉でさらに傷ついてしまうケースもあるので、これを機に、動物の家族を亡くした方への声のかけ方や支え方を考える機会も設けてもらえたら嬉しいです。

ペットロス直後は、何をしていても涙が止まらなかった

愛猫ジジは2025年5月16日、空へ旅立ちました。業務的ではなく、動物への愛が感じ取れるペット葬儀社で火葬ができたので、火葬直後、心は晴れやかでした。

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ずっと胸水が溜まって呼吸が苦しそうだったので、「やっと楽になれて、よかった」と思えました。

ペットロス直後は、何をしていても涙が止まらなかった

ただ、時間って薬にもなるけど、毒にもなる。翌日の朝、目が覚めた時に「今日からジジはいないんだ」と思った途端、猛烈な寂しさや悲しさに襲われました。

その苦しさを、当時の私は日記にこう綴っています。

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日常のすべてがどうでもいい。仕事もどうでもいい。お金も、自分のご飯も。

睡眠薬でなんとか眠れた。眠っている時間のほうが楽。


いないことが信じられない。

おやつの時間、いないと分かってるのに生きてた頃と同じように名前を呼んでは泣く。

少し待てば、馬みたいなバタバタしたかわいい走り方で来てくれるような気がするのに、いつまで待っても来てくれない。


いなくなってから、存在の大きさを思い知る。

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この頃は、骨壷を抱えながら毎晩泣いていました。「助けられなくて、ごめん」という思いが強かったし、とにかく寂しくてたまらなかった。

マンチカンの平均寿命は10歳ほど。だから、ジジが7歳になったあたりから、私はお別れの日を想像し、覚悟はしてきたつもりでした。でも、いざ別れの日が来たら、悲しみは想像以上だった。

 


その一方で、なぜか「早く立ち直らないと」と焦る気持ちも。だから、骨壺を抱えて泣く姿を夫に見られるたびに、「まだ泣けちゃうんだよね」と笑ってごまかしていました。

そんな時、夫は「いくらでも泣いていい。泣きたいだけ泣けよ。11年間も一緒に過ごしてきたんだから悲しくて当たり前だよ」と言ってくれた。

私の場合は自分で、「こうあるべき」と自分自身の心を縛っていたので、他人から泣き続けることを赦してもらえたことで、「泣いてもいいんだ」とホっとできました。

ひとしきり泣いた後は無気力に

ただ、「泣くこと」を自分に赦せた後も、無気力な時期は続きました。家にいると、愛猫が2匹になったことを痛感させられて苦しいから外に出たいのに、外出する気力がでませんでした。

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何もしたくない。外にも出たくない。買い物にすら行きたくない。

でも、家にいるのも辛い。ジジがいない現実を思い知らされるから。


いたい居場所がない。心が落ち着く場所がない。

現実の中で生きていたくない。


いっそ私も後を追いたいけど、ジジはそんなこと望まないだろうし、実行したら怒るだろうな。考えては、立ち止まる日々。


私が飼い主でよかったのかな。私じゃない誰かと暮らしていたら、もっと長く生きられたかもしれない。


現実逃避のゲームで、ひたすら時間を潰す。ゲーム以外、何もしたくない。

喪失感しか心にない。胸が空っぽ。

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この時期は結局、外に出られず、ずっと家に引きこもりの状態。夫は「気分転換に外出でも…」と誘ってくれましたが、気持ち的に楽しめないから…と断っていました。

ひとしきり泣いた後は無気力に

当時は、せっかく誘ってもらったのに…という罪悪感もありましたが、今振り返れば、無理に外出しても、明るく振舞わなきゃ…と頑張ってしまっただろうなと思うので、自分の心に素直に従ってよかったなと思います。

1日1食が当たり前な自暴自棄の日々

やがて、私は「仕事が忙しいから」という正当っぽい理由を自分に言い聞かせて、1日1食の生活になりました。かろうじて夕食を食べれていたのは、「夫も食べるから作らなきゃ」と思ったからです。

そのくらい、自分のことなんてどうでもよかった。何を食べてもおいしくないから、食事はただの給餌行為に。

心臓に持病があり、たいして強くもないのでお酒は控えないといけないのに、週末には缶チューハイをダラダラと深夜まで飲むようになりました。

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朝方までゲームをして時間を潰すのが一番楽。睡眠薬を飲んでも、早朝に目が覚めるから。

お酒を飲んで、ふわふわした気持ちで現実逃避。

喪失感や悲しみを忘れられるなら、もうなんでもいい。


私が楽しんでいると、ジジに悪いような気がする。

平然と、ジジがいない生活を送れるようになるのも悪いような気がする。


あの子は優しいから、そんな風に思わないことなんて分かっているのに、自分が楽しむという行為が怖い。

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この頃は、些細なことで笑うたびに罪悪感が芽生えました。ジジがいないのに、なぜお前は笑ってられるんだ、と自分に苛立ちもした。

この頃は、些細なことで笑うたびに罪悪感が芽生えました。ジジがいないのに、なぜお前は笑ってられるんだ、と自分に苛立ちもした。

ジジがいない日常の中で、楽しいことをしてはいけない。笑顔になってはいけない。

自分が笑うと、ジジは「私なんていなくても平気なんだ」と寂しい気持ちになってしまうような気がして、「無」でいようと頑張っていました。

死と向き合うのが苦しくて「骨壺」から目を背けた

涙まみれの自暴自棄な日々を過ごしていると、骨壺を見ること自体が苦しくなっていきました。

祭壇を賑やかにしてあげたい。でも、骨壺を見ると心が苦しくなる。だから、骨壺から目を背けるようになりました。

死と向き合うのが苦しくて「骨壺」から目を背けた

ジジが亡くなった事実を受け入れたくない、認めたくないという心の抵抗です。

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祭壇に飾った花が傷んできたので捨てた。新しい花は買わなかった。

だって、何をしてもジジは戻ってこないから。


本当は分かってる。見て見ぬフリしても「ジジがいない」っていう現実は変わらないことなんて。

でも、こうやって見ぬフリをしていれば何かが変わるような気もした。


違うな。変わってほしいんだ。生きていてほしかった。まだそばにいてほしかった。置いていかないでほしかった。

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死という悲しみは、あまりにもダイレクトに胸に突き刺さる。私にとってジジは自分の手で初めて迎え入れた子で、初めて看取った子。

だからこそ、ストレートに「悲しみ」と対峙すると心が折れてしまい、どうやってこの感情と向き合えばいいのかと悩みました。

メモリアルグッズの製作で心境に変化が…

苦しみ100%の心が少し変わるきっかけとなったのは、推し活グッズ制作アプリを使って、ジジのアクスタやアクリルブロックを作ったことでした。

完成したメモリアルグッズを骨壺に見せつつ、「作ったよ報告」をした時、自然と口から出たのは「これからは、こうやって一緒に思い出を作っていこうね」という言葉だった。

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メモリアルグッズの製作で心境に変化が…

自分の口から出たこの言葉で、私は心の奥にあった苦しみの原因が何だったのかに気づきました。

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そうか、私はこの先、ジジとの思い出が増えないことが怖くて悲しかったんだ。

亡くなれば、作れる思い出はゼロになって、それで終わり。

そう思っていたけれど、こういう形で思い出は増やしていけるのかもしれん。


「こんなの作ったよ」って見せて、報告する。

ずっと一緒だよ、そばにいるよって言う。

それは自己満だけど、自己満だっていい。


触れられないのも会えないのも悲しいけれど、亡くなっても思い出作りは続けていける。ずっとずっと。

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そう思えるようになると、骨壺との向き合い方も変わっていきました。目を背けるどころか、むしろ、常にそばに置いて過ごすように。

今までは、ジジが大好きだった寝室に作った祭壇に骨壺を置いていましたが、季節的に暑くなってきたこともあり、朝起きると同時に、エアコンがかかった部屋へ一緒に移動するようになりました。

今までは、ジジが大好きだった寝室に作った祭壇に骨壺を置いていましたが、季節的に暑くなってきたこともあり、朝起きると同時に、エアコンがかかった部屋へ一緒に移動するようになりました。

仕事中には生前、監視してくれていた椅子に骨壺を置いて見守ってもらっています。

骨壺と一緒に眠り、行動を共にする姿は傍から見たら奇妙だろうし、悲しみ100%の姿に見えるかもしれません。

でも実際は、骨壺を常にそばに置いて過ごすようになってからのほうが心は落ち着いています。なんだか、生前みたいにジジがそばにいてくれるような気がして安心できるんです。

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今日、Xで骨壺をかかえながらブランコに乗った話や散歩した話を聞いた。

なるほど。お骨になったからこそ、一緒に行ける場所もあるんだな。


生前はおうちで一緒だったけど、お骨だったら、どんな外出先にも連れていけるし、どんな景色も見せてあげられる。

色んな世界を一緒に見て、新しい形で思い出作りができるんだな。

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今もまだ正直、悲しみや苦しみは薄れてはいないけれど、一番苦しかった時期に比べたら、心は少し楽になりました。

今もまだ正直、悲しみや苦しみは薄れてはいないけれど、一番苦しかった時期に比べたら、心は少し楽になりました。

そうなれたのは、Xで色々な方のペットロス体験談を聞いたり、気持ちに共感してもらったりしたからです。

あと、「一生悲しんでいいし、ずっと泣いていい!」という開き直りのような赦しを自分に与えられたことも大きかった。

ふとした瞬間に思いが募って号泣する日はまだまだあるけど、「後を追いたい」とはもう思わない。むしろ、虹の橋で再会した時、お互いが知らなかった間に起きた楽しい出来事をたくさん伝え合えるように、ちゃんと生きていきたい。

ジジはきっと透明な姿で、いつもそばにいてくれるだろうから。

ジジはきっと透明な姿で、いつもそばにいてくれるだろうから。

そんな願望のような慰めで自分の心を守りつつ、私はこれからもジジと生きていくんだろうな。

ペットロス後に感じる苦しさは人によって様々ですが、私が辿り着いた考え方が前を向きたいと思った時、少しでも参考になれば嬉しいです。

そして、ペットロス後は「まだ泣けてしまう」「立ち直れない」と自分を責めてしまうこともあるかもしれませんが、それは愛猫を愛していた証拠です。心が苦しいうちは、「あの子のために前を向かないと…」と頑張りすぎなくてもいいと、私は思います。

だって、感じている悲しみや苦しさの中身は「愛猫への愛」だから。

処理や整理せず、その感情と向き合うことは辛くもあるけれど、一緒に過ごした月日を少しずつ振り返りながら、自分が納得できる「喪失感との向き合い方」を探していけたらいいですね。

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コメント:4


  • おはぎ

    2025/06/21に初めて飼った愛猫(おはぎ)を亡くしました。まだだったの5歳半でした。
    GWから体調が悪くなっていき、動物病院で獣医さんに診てもらうも病名が付かず、どこが悪いのか全く分からない…。
    大好きなカリカリのシーバを全然口にしなくなったのがGWが終わった5月半ば。緊急で手術、入院、退院と6月頭を迎える頃にはチュールでさえ口にしなくなりました。
    元々華奢な子で4.3kgしかありませんでしたが、どんどん落ちていく体重に焦る私は「食べなきゃ死んじゃうよ!おはぎちゃん!お願い食べて!」と嫌がるあの子の口を無理やり開けて強制給餌をしました。それからは寝るときいつも私の左脇に来てくれたあの子は私を避けるようになり、強制給餌の時には口から泡を出してしまうくらいに拒絶するようになりました。
    獣医さんと相談し、強制給餌がストレスになっていることから経鼻カテーテルで対応することになったのが6月10日頃。何とかロイヤルカナンのミルクで命をつないでいくしかない状態で、ここから食欲が戻ってくれば、動物病院で原因が分かれば、とただ祈る毎日でした。
    本当は仕事なんて行きたくなかった。ずっとあの子のそばについていてあげたかった。それでも一人暮らしであるため、私が仕事しなければ治療費を払えない。だから仕事に行かねば…という相反する気持ちを抱えていました。
    また、治療開始時から先生には年単位での治療が必要になる可能性があることを告げられ、より収入が入るように転職活動も同時にしていました。同年4月から働き始めた新しい派遣の職場でしたが、常用派遣は3年で契約が終わってしまうことを考えると、正社員での勤務は必須でした。おはぎちゃんの治療と平行しての転職活動も始め、何とかある企業から内定をもらい7月入社が決まりました。しかし、そこは資格試験を取らないと正社員登用できない企業でした。それでも登用されると給与が良く、おはぎちゃんの治療費を惜しみなく払えるため、入社前に資格勉強をしました。ただひたすら、それがおはぎちゃんのためになると疑わず。
    そして6/21、私は資格を取るため午前に受験し合格することができ、午後に帰宅しました。帰宅してからおよそ30分と立たないくらいに、ケージにいたおはぎちゃんが嘔吐し、崩れ落ちるように体勢を大きく崩しました。明らかに今までと違う様子に思わず私はおはぎちゃんを抱きしめていました。強制給餌をする嫌なやつに抱きしめられたくないだろう、なんて考えはなく、膝の上で抱っこしていた時のように右腕に前脚がかかるように抱きしめ、「おはぎちゃん!おはぎちゃん!」とただ名前を呼びました。
    おはぎちゃんは目を大きく開いて、大きな深いため息をつくように一息吐きました。それから徐々に瞳孔が開き、身体の力が入らなくなるまで、私はただ名前を呼んで抱きしめてあげることしかできませんでした。

    虹の橋を渡ってまだなのか、もうなのか半年経ちました。今でも不甲斐ない飼い主でごめん。苦しませてごめん。なぜあの日試験など受けに行った?あの子は苦しい中私を待っていてくれたのに。と謝り続けて、そんなの自己満足だろ、と自分を責める気持ちと、私と一緒にいてくれてありがとう。という感謝の気持ちがずっと行ったり来たりしています。


  • まゆ

    昨年、12月18日突然愛猫を亡くしました。20才だったけど、全然元気で、あの日の朝も、行ってくるねと後ろ姿を見て..夕方帰ってくると..冷たくなっていました。
    家の中なのに、安全だと思ってたのに..
    一瞬パニックになり泣き叫びながら抱っこしてました。
    今もあの日の光景が頭から離れず、辛くて苦しくて、そんな時、ぽぽねこさんの記事に出会いました。今の私と同じで、涙が止まりませんでした。仕事中は淡々と、何もなかったように生活し、帰宅すると辛さと孤独と寂しさと、あの子を助けてあげられなかった、守ってあげられなかった自分に対する怒りで、頭がおかしくなりそうでした。本当に日常生活も仕事も、どうでもいいと、今も思ってしまいます。それだけ、私にとって大事な可愛い宝物でした。
    頭では分かっているのに、心が追いつきません。今も、あの日のカリカリご飯は、食べかけのまま..片付ける事ができません。


  • あきゃ

    私も2025年7月9日に私が幼い頃からずうーっと一緒で、可愛くて愛してやまなかった主さんと同じさびねこの「ちょび」を亡くしました。リード無しで家の周辺を一緒にお散歩できるし、呼んだら必ずお返事するし、愛情深くて賢くって、家族の輪の中心みたいな存在でした。「ちょび」は、私にとって妹であり、母であり、親友であり、一番の理解者だったように思います。正直、これ以上愛せるだろうかというくらい愛して看取ったつもりです。「後悔はない、後悔なんてないから…」「苦しみから解放されたんだ」そう念じるように愛猫の初めての死に向き合っていました。ですが、残った4000枚あまりの写真や動画、たまに夢に出てくるちょび、もう勉強の邪魔をしにこない殺風景な机を見ては、もういないんだと、会って話せないんだと、心から寂しくなります。チョビを亡くしてこのブログを読んだとき、私と母の心はいくらか楽になりました。辛い中でもこのような文章を書いてくれたことに感謝申し上げます。私は今、受験勉強真っ盛りで、愛猫ちょびに胸を張って「お姉ちゃん頑張ったよ」と言えるように頑張っています。辛い運命の中ですが、使命感を持ってこれからを生きていきます…。長々とすみません!ジジちゃん本当に可愛いです。サビ猫大々大好きです


  • ちょろ

    私のことかと思いました
    あと10日ほどで四十九日なのですが
    泣かない日はありません
    スーパーに買い物に行ってペットフードコーナーを見て『私にはかんけいのないところだ』と思って泣き
    落ちたゴミを急いで拾って、『誤飲を心配しなくていいんだ』って泣き
    朝、ゆっくり起きるようになって『起こしてくれない…』と泣き
    猫がいる時は今の季節はエアコン付けっぱなしでしたから帰宅すると部屋が温くて愛猫ないない現実をつきつけられて泣き
    捨てるゴミの小ささに泣き 猫砂を踏んで痛いって困らないことで泣いて…何しても泣きます 写真を見ると辛くて、、動画も見てません 泣き疲れて倒れるように寝ます 酒の量も増えました
    骨壷の多いをボア素材で耳をつけて手作りしました 少しだけすこーしだけ心が穏やかになりました。


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