先代猫を“飼っていた”後悔が、今の私をつくった――猫との暮らしが教えてくれた「飼う」と「共に生きる」の決定的な違いとは?

先代猫を“飼っていた”後悔が、今の私をつくった――猫との暮らしが教えてくれた「飼う」と「共に生きる」の決定的な違いとは?

「猫を飼う」という表現は、よく見聞きするものです。ただ、私自身はあまりしっくりきていません。だから、猫ライターとして記事を執筆する時には「猫と暮らす」や「猫と生きる」、「猫を迎える」などといった言葉に変換して、人と猫の物語を伝えています。

私と同じように「飼う」という表現がしっくり来ない方は、意外と多いはず。なぜ、私たち猫好きはこんなにも「飼う」に反発心や抵抗感を抱くのだろう…。そう考えた末に辿り着いたのは「飼っている」ではなく、「共に生きている」という感覚が強いからではないかという答えでした。

今回は私が思う「飼う」と「共に生きる」の違いを、少し語ってみました。

放し飼いが当たり前だった時代の先住猫から学んだ「共に生きる」の重み

私が子どもの頃、猫は放し飼いされているのが一般的でした。幸い田舎だったため、車に轢かれて愛猫が亡くなることはありませんでしたが、当時の私にとって猫はどこか遠かった。

先代猫たちは放し飼いでしたが、みな夕方になればご飯を求めて帰宅。親は夕食をあげつつ、自宅の倉庫に猫を入れ、翌朝になったら外へ出していました。

私は自分に時間がある時だけ、自由気ままに猫をかわいがるだけ。室内飼いのように四六時中一緒にいないから愛猫のことをよく理解できておらず、「共に生きている」という感覚も持てていませんでした。

子どもだった私は当時、主流だった放しをごく自然に受け入れていたけれど、今振り返れば、あれはきっと「飼う」だった。

食事や排泄など、必要最低限の欲求を満たせる環境ではあったけれど、愛猫の心を満たせていた自信は全くないから。

放し飼いが当たり前だった時代の先住猫から学んだ「共に生きる」の重み

本当はもっと、甘えたかったかもしれないし、外の暑さや寒さが辛い時もあったかもしれない。そういう細やかなところに目が行き届いてこそ、きっと「一緒に生きる」が成立するんだと思います。

実際、私は自分の手で愛猫を迎え、完全室内飼い生活を送るようになって初めて、猫という生き物の奥深さを知り、驚きました。かわいい生き物とは知っていたけれど、四六時中一緒に過ごしていると、気づくことや分かることが多すぎて日々、発見の連続。

実際、私は自分の手で愛猫を迎え、完全室内飼い生活を送るようになって初めて、猫という生き物の奥深さを知り、驚きました。かわいい生き物とは知っていたけれど、四六時中一緒に過ごしていると、気づくことや分かることが多すぎて日々、発見の連続。

同時に、「飼うこと」しかできなかった先代猫たちへ申し訳なさも募りました。「そういう時代だった」という言い訳では許されない暮らしを強いてしまった気がして。

「命を紡げたらそれでいい」と満足せず、愛猫の心にも向ける。それを意識してこそ、猫との共生はスタートすることを、私は先住猫から学びました。

「共に生きる」は、上下関係がなくて心地いい

私が「飼う」という言葉に抵抗感を抱くのは、その表現に上下関係が存在しているように思えるからです。文字にすれば、たった2文字なのに「飼う」には飼っている側が上という静かな圧があるように思えてしまう。

でも、愛猫との関係性ってそうじゃない。愛猫は母や兄弟、友人、恋人など時と場合によって、様々な関係性であってくれる存在だと私は思っています。

「共に生きる」は、上下関係がなくて心地いい

例えば、おやつの時には妹キャラのように甘えてくるのに、その後はクールな彼氏キャラみたいに知らんぷりなんてこともザラ。

だから、人間側が愛猫を「おキャット様!」と称えたくなることはありますが、基本的に猫って誰が上か下かをあまり重視せず、自分の好きなように生きている感じがします。

その気ままさは妙に人間っぽいから親近感が湧くし、対等な関係でいられる楽さに心がホっとする。そういう日常に似合うのは、やっぱり「飼う」ではなく、「共に生きる」だと思うんです。

共生って、その種を心から思い、「飼う」の先を考えないと辿りつけない形なのかもしれない。猫と暮らしているとそう感じ、彼らは「愛玩動物」ではなく、「家族」だなとしみじみ思うのです。

「飼う」と「共に生きる」の大きな違いは命との向き合い方

「飼う」と「共に生きる」で一番、大きく違うのは命の向き合い方なのではないかと私は思っています。私が先代猫を”飼って”いた当時、周囲の人たちは動物を病院へ連れていくという意識が薄かったような気がします。

「動物には自然治癒力があるから大丈夫」と、異変を見て見ぬフリする人が本当に多かった。私は子どもながら、そうした大人たちの態度に疑問を抱いていました。学校や家では命の尊さを説くのに、命に大小をつけているのは自分たちじゃないかと思ったこともあります。

だから、「共に生きる」という意識が広まるにつれて、愛猫の健康管理を気にかける風潮が社会に広がってきたと感じた時は、嬉しかった。

だから、「共に生きる」という意識が広まるにつれて、愛猫の健康管理を気にかける風潮が社会に広がってきたと感じた時は、嬉しかった。

動物は人間よりも、たしかに自然治癒力が高い。でも、彼らの声なき叫びを拾い、治療に繋げることは人間にしかできない重要なことだと思うんです。

「愛猫と共に生きる」の精神が浸透している今は、定期健診を行って病気の予防に努めている方も多いもの。そうした意識の変化って、愛猫を家族の一員として捉え、「目の前の命を守っていく」という覚悟がないと生まれない。

だから、尊い意識だと思うし、ひとつの命をこんなにも深く愛せる自分がいることを、私たちは猫から教わっているような気もする。

だから、尊い意識だと思うし、ひとつの命をこんなにも深く愛せる自分がいることを、私たちは猫から教わっているような気もする。

ただ生きているだけではなく、健康かつ幸せであってほしい――。そんな猫好きの強い願いや後悔が積み重なったからこそ、現代社会はこれほどまでに猫との共生が進んだのだろうな。人間をここまで虜にできる猫って、改めてすごい。

…とはいえ、猫と人間は全く別の生き物。猫との距離感が近くなっている今は必要以上に猫を擬人化せず、猫の特性を理解しながら、互いが快適に過ごせる方法を考えていくことも大切だなと痛感させられます。

…とはいえ、猫と人間は全く別の生き物。猫との距離感が近くなっている今は必要以上に猫を擬人化せず、猫の特性を理解しながら、互いが快適に過ごせる方法を考えていくことも大切だなと痛感させられます。

猫の長寿化に伴って、これから先、人間と猫の関わり方はまた少し変化していくはず。「猫と共に切る」の次は、どんな暮らし方が一般的になっていくのだろう…。そんな想像をしつつ、愛猫との暮らしを少しずつ良い方向へアップデートしていきたいものです。


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