愛猫ジジは血管にできる悪性腫瘍「血管肉腫」により、2025年5月16日に11年のニャン生を終えました。愛猫と二人三脚の闘病生活に取り組む前、私はペットロスの苦しみは愛猫を失った後に襲ってくるものだと思っていました。
でも、現実は違った。ペットロスの辛さは、闘病中から始まる。「この子を亡くす」という現実の重さが心にズドンとのしかかってくるんです。
その悲しみや苦しみが消えることはないけれど、闘病中の過ごし方によっては「別れが怖い」という気持ちを少しだけ和らげ、愛猫がいない日常への覚悟をちょっとだけ持つことはできる。
今回は私自身が闘病中、どうやって「愛猫との別れ」という現実に折り合いをつけていったのかをお話します。
「別れが怖いのは当然」と受け止めることがスタートだった
正直、「もうできる治療がない」と獣医師から聞いた当初、私は泣いてばかりの日々でした。心配をさせるかもしれないから、ジジの前ではなるべく泣かないようにしたい。最期にジジの記憶に残る私の顔は“泣き顔”ではなくて、“愛してるよが分かる笑顔”であってほしい。
そう思ってはいましたが、ジジがいない近い未来を想像すると、どうしても泣けてしまって…。

でも、泣きながらジジとの時間を過ごす中で、ふと思った。別れが怖いと思うのは当然のことだよな、って。11年間も一緒に暮らしてきた家族がいなくなることを「悲しい」と思わないほうが無理。この悲しみや辛さは、込み上げて来て当然なものなんだ。
そう気づいてからは無理に笑おうとせず、泣きたい時はちゃんと泣くようになりました。自分の感情を無理やりコントロールするのではなく、自然なまま出して残された貴重な時間をジジと過ごそうと思った。

ちなみに、ジジの前で泣く時は「ジジ、ごめんな。やっぱり泣けてきちゃうよ。あなたがいない生活を想像すると、寂しすぎてさ」と、泣いている理由を説明。なぜ泣いているのか分かったら、愛猫も困惑しにくいかなと思ったからです。
そんな風に、ありのままの感情でジジと過ごしていると、少しだけ「別れの日」への恐怖心が和らいでいき、「今、できることって何だろう」と“してあげられること”や“してあげたいこと”を探す方向へ気持ちが向いていきました。
思い出話や愛情表現で「一緒にいられる時間」を大切にした
「最期までいいニャン生だったわい」と思ってもらえるよう、私にできることってなんだろう。そう考えた時にまず浮かんだのか、好きなものを食べさせてあげることでした。
当時は、獣医師から「食べられるものを食べさせてあげて」と言われていた段階。だから、大好きなちゅ~るを普段より多めにあげたり、いつも食いつきがよかったウェットフードをあげたりしました。

そうやって食を満していると、「もっと心も満たしてあげたい」という気持ちに。ただ、ジジはあまりおもちゃに興味を示さない子。「他に好きなことって何だろう」と考えた時、思い浮かんだのは、私と2人きりの空間だと甘え方に拍車がかかる姿でした。
よし。だったら、別れの日までは同居猫たちがいない部屋で、できる限り2人で過ごそう。そう思い、寝食、入浴以外のすべての時間、ジジと2人きりで過ごすようになりました。

(※寝食や入浴などの時は酸素室でリラックスしてもらっていましたし、様子を見て途中で酸素室に入ってもらうこともありましたが…)
胸水が溜まっている状態だったので、ジジは喉をゴロゴロ鳴らすと明らかに苦しそうだった。それなのに寝室では、亡くなる1日前まで喉をゴロゴロ。「嬉しい」と命がけで表現してくれる姿が、健気で愛おしかった。
寝室では、夫と3人で「いちごパーティー」も開催。ジジを思って、好物のいちごを仕事帰りに買ってきてくれた夫の優しさが嬉しかった。ジジはもう、1~2口しかいちごを食べられない状態だったけれど、1口でも食べられる時に間に合ってよかった。

笑いながら寝室でいちごを食べたあの日、時が止まればいいなと本気で思った。
2人きりで過ごす時には、これまで思っていたけれど伝えられていなかったことをたくさん話しました。11年間ずっとかわいかったね。生まれてきてくれてありがとう。11年間ずっと大好きだったよ。今も大好きだよ。もし生まれ変わったら、また一緒に暮らそうね!ずっと待ってるよ。
そんな言葉を毎日伝え、涙が溢れる日には自分に言い聞かせる意味も込めて、「大丈夫。離れても見えなくなってもずっと一緒。ずっとそばにいるから何も怖くないよ。何も心配しなくていいよ」と話しかけました。

そういう時、ジジは決まって芯の強い目で私をじっと見てくれた。その目を見るたび、同じ言語は話せなくても、心や気持ちは伝わっていると感じました。
友人の言葉でハっとさせられた「頑張らなくてもいい」の重み
闘病中、メンタル的にどうしても苦しい時には夫やペットロス経験者の友人に話を聞いてもらいました。
誰かに話しを聞いてもらうことってペットを失う悲しみや辛さに直面した時、すごく大切で。感情を言葉にすると心が少し楽になり、違った視点での向き合い方もできるようになるんだなとも思わされました。

特に響いたのが、愛猫を亡くした経験がある友人の言葉です。その友人は愛猫を亡くした後、生きている意味がないと感じ、自身の体にナイフを突き刺そうとしました。小さな家族を失うことって、それほど大きな痛みを伴うんです。
友人は「あくまでも私の考えだけどね」と前置きし、闘病中の愛猫への声かけについてアドバイスをくれました。

友人「私の場合は『頑張って』だけじゃなくて『頑張らなくていいよ』も言わないって決めてたんだ。もし、愛猫が一生懸命生きようとしてくれてるのに『頑張らなくてもいい』って伝えたら、その子に失礼だなって思えちゃって…」
だから、友人はマイナスなことや「今までありがとう」など過去形の言葉を一切伝えず、「すぐ元気になるよ」という前向きな言葉や「安心していいよ、ずっと一緒にいるからね」など、愛を伝えることに全力投球したそうです。
もちろん、闘病時の関わり方や声かけの仕方に正解はありません。ただ、友人の言葉は私の胸に深く刺さりました。

その頃の私はジジの心が少しでも楽になれば…と思い、「もう頑張らなくてもいいよ」と伝えていたんです。でも、友人の言葉が響き、ジジにかける言葉を変えました。
「頑張っても頑張らなくても、どっちでもいいよ。あなたが望むほうにしてね。どんな気持ちでも決断でも、私はあなたが決めたことを尊重するよ」
そう伝え始めてから、ジジはよりまっすぐな目で私を見つめるようになりました。
ちなみに、友人は自身の心が苦しくて、愛猫が息絶える瞬間を見届けられなかったことを後悔しており、私に「もし、大丈夫であれば、今のうちに覚悟を決めて最期を見届けてあげてね。私みたいに後悔してほしくないから」とも伝えてくれました。
この言葉があったからこそ、私はジジが息絶える瞬間をちゃんと自分の目で見届けることができたので、とても感謝しています。

正直、安らかな最期ではありませんでしたが、名前を呼びながら「ありがとう」「ずっとそばにいるよ」と泣き叫びながら最期を見届けられたことは、自分の人生の中でも大きな意味を持つ経験になりました。
1日経つごとに愛猫の状態が悪化していき、別れの時間が迫っていることを実感させられる闘病時はとても苦しいものです。でも、闘病時の愛猫にとっては「迎えた今日」が、その子にとっては一番元気な日。だからこそ、しっかりと愛や感謝を伝え、限りある日々が互いにとって少しでも良いものになるようにしていけたらいいですよね。
もう長くはないと分かっている有限な時間の過ごし方を考えた時、私の経験が少しでも参考になれば、きっとジジも喜んでくれると思います。
居なくなる時間が近づいてくると思うだけで辛かったですよね…。
心の準備と思っても居なくなる事実は変えられなくて、寂しいし悲しい気持ちになってしまうのもよくわかります。どうにか少しでも楽に。とも思うし、少しでも長く一緒に過ごしたいと思う事もあったり、ヒトの心は愛情深いほどに複雑かと思います。
私も今でも先住猫たちの最後を思い出すと涙が出ますが、今の子たちとの別れを考えるよりも少しでも長く健康に暮らせる様にいっぱい愛情をかけたいと思います。
今ちょうど、食べれるものを食べさせてあげての時期を過ごしてます。心に響きました。
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