一緒にいるのが当たり前だった愛猫を失うと、心に猫型の穴が開く。大好きな存在がいない日々を、私は生きていけるのだろうか…と心が不安定にもなる。
そんな日々をなんとか生き延びるには、「うちの子が生きていた証」を残しておくことが大切。今回は私が思う、「愛猫を看取った後に残しておきたいもの」を、いくつかピックアップしてみたので、ひとつの参考にしてみてください。
被毛を貰う
猫って、その子によってなぜか被毛の香りが違う。亡き愛猫ジジは、どこか甘いような懐かしいような不思議な香りでした。
ジジが亡くなった後、一番辛かったのは、いつも撫でていたもふもふの毛に触れないことでした。

目に見えないだけで、そばにいるんだよね。そんな考えで自分の心を守って、手を伸ばしてジジを撫でる仕草をしても、触れられるのは空気だけ。その瞬間に感じる虚しさや寂しさは、言葉にできないほど深かった。
そんな心の痛みを和らげてくれたのは、火葬前に貰ったジジの被毛。我が家の場合は火葬前、ペット葬儀社の方が「毛を少し貰いますか?」と聞いてくれたのですが、私は最高に綺麗な姿で送り出したいという気持ちがあったので事前にブラッシングし、抜けた毛をジップロックに入れて保管していたので、葬儀社の方の気遣いはお断りしました。

ジジは生前、大のブラッシング嫌い。だから、大人しくブラッシングさせてくれた最期の時は「本当に亡くなっちゃったんだ…」と実感して、悲しかった。
ただ、綺麗な毛並みで虹の橋に送り出せたので、”最期のブラッシング”という形で手元にジジの毛を残せたことはよかったなと思っています。
貰った被毛はその後、100均一の香水型ケースに移し替え、祭壇へ。(※正面からは見えないよう、背面に防虫剤を入れています)

ジジに触りたいと思った時は取り出して、生前のように猫吸い。「やっぱり防虫剤のにおいに染まってちゃうなあ…」と、少し悲しい気持ちにはなりますが、ふわふわの被毛に触ると、猫型の穴が少し満たされる感じがします。
私の場合は結構、多めに被毛を貰ったのですが、そのおかげで生前のもふもふ感を再体験できてる感覚があります。今は猫の被毛を入れられるペンダントもあるので、貰う時は量も考えてみてください。
爪を少しだけ切らしてもらって保管する
今、最期を振り返った時、貰っておけばよかったなと思うのはジジの爪。最後に爪切りをして、爪のカケラを小さなガラス瓶などに保管したかったな、と後悔しています。

なぜなら、ジジが亡くなった後、ひとつでも多くジジがいた証を集めたいと思い、爪のカケラを探したことがあったからです。結局、見つけることはできませんでしたが、「もしあったら…」との思いから、掃除機がなかなかかけられませんでした。
愛猫の爪があると、”爪切り時の懐かしい思い出”を懐古できる。ジジの場合は爪切りが大嫌いで、愛猫の中でひとりだけ大暴れ。毎回、動物病院で爪切りをお願いしていたのですが、病院内でも3人がかりで優しく声かけしながら抑えないとできませんでした。
もし手元に爪が残っていたら、そんなクスっと笑える光景がより浮かんできやすかっただろうな。

そういう少し笑える思い出って、愛猫を亡くして苦しい時、心に効く。看取りの時は、その瞬間に向き合うことに必死で、なかなか「爪を残す」という発想に至れないだろうし、亡くなった後は死後硬直も始まってしまうので、爪は生前から残しておくことが大切だなと思いました。
ヒゲを保管する
ジジは、カールしすぎたおヒゲがチャームポイント。おそらく、巻き毛猫の血が混じっていたのでしょうね。子猫の頃はまっすぐだったのに、いつの間にかカールし始めたよう。鈍い私はフォロワーさんから「ヒゲ、カールしてる!」と驚かれてから、「ホントやん!」と気づきました。

たまに、お口に入っている時もあったなあ。
が家は多頭飼いですが、ジジのヒゲは最大限まで曲がってから抜けるという謎の特徴があったので、部屋に落ちているヒゲの中からジジのものを見分けることはできました。
ただ、私は日々の忙しさを理由に「ヒゲ集め」をあまりしていなかったので今、手持ちのヒゲは2本。うちの1本は亡くなる直前、自宅に設置していた酸素室の中でジジが残してくれたものです。

残せたヒゲはフォロワーさんからいただいた桐箱に入れ、祭壇に飾っていますが、時折、手に取って眺めることも。その際は、「本当に猫らしくない猫だったなあ」と軽い笑いが自然に漏れます。
ジジのように強すぎる個性がなくても、愛猫のヒゲは亡き後、「あの子」を身近に感じられる宝物になる。私のように日頃からヒゲ集めをしていない方は愛猫亡き後、掃除機をかける前に部屋を一度見渡して、「愛猫のおヒゲ探し」のような時間を設けるのもよいと思います。

ちなみに、多頭飼いの方はヒゲの見分けが難しく、個別に保管するのは至難の業だと思うので「みんなのおヒゲケース」を用意するのもいいかもしれません。
「ヒゲケースの中では、まだみんなでわちゃわちゃしてくれてる」と思うと、少し微笑ましい気持ちになれると思います。
個別火葬でお骨を残す
私が一番残して良かったと思うのは、愛猫のお骨です。個別火葬をし、骨壺にお骨を納めてもらいましたが、この選択ができて本当によかった。寂しくなった時や恋しくなった時、骨壺を抱きしめると、ジジをギュっとしている気分になれるからです。

ペット葬儀社に火葬を依頼する際は、他の動物と一緒に火葬する「合同火葬」と、1匹だけを火葬する「個別火葬」のどちらかを選べるので、お骨を残したい方は必ず個別火葬をお願いするようにしましょう。
動物の火葬は各自治体でも行ってもらえますが、その際はほぼ合同火葬になり、お骨は返してもらえません。また、安価ですが、ゴミと一緒に焼却されてしまうこともあると聞くので、火葬時は愛猫をどう弔いたいかをしっかりと考えた上で、お骨を残すか、残さないかを選ぶとよいと思います。
朝起きたら、すぐに骨壺を抱きしめて「おはよう、今日も大好き」と抱きしめ、就寝時には「おやすみ、大好きだよ」と伝えて眠るのが、私の今。あまりにも寂しい時は骨壺をそばに置いて、仕事や現実逃避のゲームをしています。

動物の死への価値観は様々なので、周囲からは「猫なのにお骨を残すなんて大げさ」とか「個別火葬にかけるお金を、別のことに使った方がいいんじゃない?」とか言われたこともあったけれど、ジジのお骨を残せていなかったら、私は後悔してもしきれなかったと思う。
愛猫のお骨には、「見えないけれど、あの子はそばにいる」と自分の心を守ることができる力もある気がします。
スマホに残っている写真や動画の保存方法を見直す
私はまだできていませんが、この先やりたいと思っているのは、「これまで一緒に歩んできた日々」が消えないよう、撮り溜めた写真や動画の保存方法を見直すことです。
昔のスマホに保存されている写真や動画をGoogleドライブなどに移し、見られなくなることがないようにしていきたい。

ただ、ネット系はサービスが終了することもあるので、一番いいのは古典的な手作りのアルバムかもなあとも思ったり…。
動画はネットのクラウド上に保存するしかないけれど、せめて写真だけは絶対に消えないよう、コツコツとアルバムにまとめようかなと考えています。
写真や動画は、”愛猫との日々”を客観視できていい。愛猫を亡くした後って、どうしても「できなかったこと」や「してあげたかったこと」に目が行き、後悔に駆られるけれど、写真や動画に写った愛猫を客観的に見てみると、意外と幸せそうな顔をしてくれている。

その表情に気づくと、私は自分の中にあった罪悪感が少し薄れ、「こんな、どうしようもない下僕でもちょっとは幸せにできたのかもなあ」と思えました。
生きていた日々の思い出を祭壇にたくさん飾る
亡くなったから、愛猫との日々は終わり…というのではあまりにも寂しい。大好きな愛猫にはこの先も、日常の中にいてほしい。そう思うからこそ、私が今、頑張っているのは祭壇をたくさんの思い出で飾り、ジジがいた証を残すことです。

今はいい時代ですね。推し活ブームのおかげで、愛猫の色々なオリジナルグッズを作ることができるし、100均やスリーコインズなどではコスパよく、祭壇を彩る装飾が買える。
ジジの祭壇は今、フォロワーさんから貰った作品や生前の写真、クリエイターさんに描いて貰ったイラストなどが飾られ、どんどん賑やかになってきています。
最初は骨壺だけしかなかった祭壇。賑やかになっていくにつれて、自分の心も少し明るくなってきたように思う。

次は、「一生ジジ推し」と書いたライブ用うちわでも作ろうか…。そう考える時、私は「今もジジと一緒に生きている」と、少し思える。
「祭壇を飾る」という形で愛猫が生きていた証を残すのは、「これからも亡き愛猫と生きていく」に繋がる。
亡くなっても一緒に生きていくなんて、言葉として矛盾している。けれど、そういう矛盾した世界で私たちは愛猫をいつまでも想い、慕い、愛していっていい。
私が知った「愛猫がいた証の残し方」が少しでも、同じ痛みを抱える誰かの心を和らげる情報のひとつになれば嬉しいです。
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