はじめましての方も、はじめましてじゃない方もこんにちは。猫狂でミニマリストの阪口ゆうこです。
今では猫が家にいるのが当たり前である。
一日は、足元に絡みつく猫たちから始まり、床には転がるおもちゃの紐を片付け、洗濯物の猫毛に「あらー」とつぶやき、事あるごとに名前を呼んで気を引き、画像フォルダを猫たちにジャックされ、今生の別れかのように「おやすみなさい…私のこと、わすれないでね…!!」と離れる。
そして翌朝また起きて、ドアを開けると、ゼロ距離に猫がいる。

起きてから寝るまで、愛おしさが詰まった日常なのだ。
しかし、最初からそうだったわけではない。
猫と暮らすには「越えなければならない家族の理解」という関門があった。
今思えば、あれはひとつの通過儀礼であった。
猫さまに吸い寄せられる日々
あの頃、コロナ禍で家にいる時間が爆発的に増えた。
やることもなく、なんとなくInstagramを開いては、他人の猫ばかり眺めていた。
尊くて、神々しくて、もはや「猫さま」としか呼べなかった。
そんなある日、「子猫を保護しましたー」という投稿が目に飛び込んできた。
ミイミイと鳴く、綿帽子みたいな深いグレーの毛の子猫が3匹。
画面の中でくねくねと絡まり合っていた。
アカウントをよく見ると、近所の動物クリニックのものだった。
しかも、投稿は5時間前。
そこからは、もう脳がフリーズしたまま行動していた。
「まだ猫ちゃんいますか?」とDMを送り、会いに行くアポを取ってすぐに向かった。
目の前にした瞬間、ハートは撃たれた。完全に。
ズキューン!と、貫く音もした。確実に。
これは運命だと思った。誰に何を言われても、揺るがない確信であった。

逆走馬灯とでも呼ぼうか。
「この子がうちに来たら、こんな幸せが訪れる」という、未来予想図のスライドショーが頭の中を猛スピードで駆け抜けていったのだ。
猫導入プレゼン!史上最高に雄弁な私
帰宅してからの私は、もはやプレゼンの鬼と化していた。
家族の前で、猫と暮らす未来がいかに素晴らしいかを熱弁した。
あれほど言葉が滑らかだった自分を、私は他に知らない。そしておそらく、これからもない。
しかし、夫も息子も、難色を示した。
「また後先考えずに暴走してるのでは…」という不安がぬぐえなかったようだ。
冷静に考えれば、確かにその懸念は正しかった。
それでも私は引き下がらなかった。
「ずっと一緒に暮らすなら、家族全員に猫適性が必要だ」と夫が言い、そこから我が家は、まさかのアレルギー検査を受けに病院へ行くことになったのである。
アレルギー検査の結果とまさかの展開
診断の結果、私はアレルギーゼロ。
猫と暮らすために生まれてきた申し子であることが判明した。
一方、息子と娘は★6段階中★1の軽度アレルギー持ち。「何かのきっかけで発症する恐れがあるからね」と、病院の先生はおっしゃっていた気がするが、「気をつけてほどよい距離感で過ごせばいいのでは」という補足の言葉だけが頭に残った。
とくに息子は、猫どころかホコリに過敏なハウスダスト界の若き王だった。
「猫って毛が舞うやん…」と渋い顔でため息をつく。
それでも私は、迎える準備を完璧に整えていた。
- アレルゲン対応のフードを用意
- 空気清浄機を購入する
- 掃除回数を増やす
粘りに粘って、ようやく息子から「…まあ、しゃーないな」という、しぶしぶのOKが出た。
こうして、黒猫「おかか」が我が家にやってきたのである。

ちなみに、娘は★1という結果だったにも関わらず、発症を誘引するかのように、毎日猫を吸って生きている。
これまで問題が起きていないのは驚きだ。
なぜかいちばん懐かれる「拒否派」
当初、家族は距離をとっていた。
とくに息子は、「飼い主としての責任は一切とらない」と関与ゼロを宣言。
トイレ掃除?ノー。ブラッシング?知らん。おもちゃ?買わん。
関わりませんオーラがすごかった。

だが、猫は人間の思惑を軽々と超えてくる。
「別に好きじゃない」と表明している人間にこそ、なぜか懐くのだ。
おかかは、毎日抱っこする娘をスルーし、サブスクを観る息子の膝に乗った。
何事もなかったかのように、当然のように、ぴたりと座ったのである。
やがてやってきた白猫「るる」までもが、息子のそばを特等席に選んだ。
息子が帰宅すると、るるが駆け寄り、おかかが足を抱えて「行くな」と引き止める。
空前絶後の人気っぷりである。

責任ゼロのくせにデレが止まらない
息子も、まんざらではない。
むしろ、完全に嬉しそうである。
「昼寝する時は、白猫をお腹の上に乗せるのが定番」らしい。
なにその、猫カスタマイズ。

かつてあれほど冷めた目で「猫と暮らすの…?」と眉間に渓谷を作って渋っていた青年が、今や目尻ダルダルの顔で猫に話しかけている。
顔の締まりはゼロである。
ただし、初志貫徹は貫かれている。
「責任は持たない」と言ったとおり、いまだにトイレ掃除や爪切りには関与していない。
ただただ、甘やかす。
それが彼のスタイルであり、猫との距離感なのだ。
だが、それでいいのだと思う。
猫と人間の関係に、正解など存在しない。
無償の甘やかしでも、気まぐれな愛でも、そこに温かさがあれば、充分なのである。
猫なしの暮らしなどもはや考えられない
「猫なんて無理」と言っていた家族が、いまや猫なしの暮らしなど想像もできなくなっている。
誰よりも反対していた息子が、いちばん懐かれているのも、また面白い。
私は今日も、せっせとトイレの砂を交換しながら、その光景を眺めている。
この毛まみれの、気まぐれな日常に、心から感謝している。

家族を迎えるとは、こういうことなのかもしれない。
少し強引な始まりだったかもしれないけれど、我が家の暮らしは確実に豊かになったのだ。
あの日、私はたしかに暴走した。
でも、胸を張って言いたい。
あれは、最高の暴走だった。
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