はじめましての方もはじめましてじゃない方もこんにちは。
猫狂でミニマリストの阪口ゆうこです。
暮らしを整えて、モノを減らして、心地よい空間をつくる。
ミニマリストとしてそんな日々を志してはいるけれど、猫が一歩動けばその均衡は一瞬で崩れる。
私の「シンプルに整える」という努力など、猫にとっては米つぶ程度の価値しかないらしい。
むしろ彼らは真逆の「お乱し業」に精を出している節すらある。
今日はそんな、片付けも効率もおかまいなし。
ついでに飼い主の心までかき乱してくれる猫たちの「あるある」を6つほど並べてみた。
猫の伸びはただただ見てしまう
猫が動き出す時は、伸びで始まることが多い。人間がバタバタと家事や用事をしている最中でも、彼らはマイペースにぐーっと体を伸ばす。
これがもう、無条件で見てしまう。伸びるたびに「はぁ…尊い」と呟きそうになる。

実は伸びにも種類があるのだ。背中を反らしてお腹を高く持ち上げるタイプ。
個人的にこれはなかなか出会えないのでレア度が高い。目撃した時はガン見レベルである。
横になって全身を地面に沿って伸ばすタイプは、猫の意外な「長さ」が露呈して飼い主を驚かせる。
そして定番は、お尻を高く突き上げるヨガのポーズ「ダウンドッグ」に酷似した伸び。これを毎日惜しみなく披露してくれるから、私はわざわざヨガに通わなくても視覚から健康になれる気さえする。
猫の「まぁボチボチ動きますか」というマイペースっぷりに憧れ、そして少し嫉妬する。
箱を見たらとりあえず入る選手権
ネットショッピングの段ボールは、中身以上に価値がある。
Amazonや楽天から届く品物に用があるのは人間だけ。猫にとっては箱こそがメインだ。

大き過ぎてもダメ、小さ過ぎてもダメ。ジャストサイズの箱を見つけたときの猫の吸引力はすごい。スッと入って、はみ出しそうになりながらも満足げに収まる。
覗き込むと「閉めて!閉めて!」と言いたげな目。閉めてやると落ち着くのか、しばらく出てこない。
何が面白いのか。人間にはわかり得ない感覚があるのだろう。
しかし飼い主の心は、猫が満足そうな時点で謎の達成感に満たされる。
結局、段ボールはしばらく部屋に放置される運命にある。気づけばリビングの片隅が、段ボールの墓場と化している。
ちなみに、二匹同時に入ってギチギチになると、二倍どころか十倍尊い。
いや、正直に言うと「狭いなら交代で使ってほしい」と思う瞬間もあるが、そんな要望が通るわけがない。
結局、どんなに高級なベッドよりも、ただの段ボールが最強だと証明される瞬間だ。
膝に乗るタイミングは絶妙
膝に乗ってくるのは決まって「今じゃない」というタイミング。
「さてそろそろ出かけないと…」と呟いた瞬間にピョン。
「トイレ行きたい」のときも同様。
「お風呂入ろっかなー」と独り言を言った時もだ。
彼らは確実に「この瞬間は困る」というポイントを突いてくる。本当は日本語を理解しているとしか思えない。いや、もしかすると「飼い主のために邪魔する」高度な献身かもしれない。
そしてうっかり膝上を奪われると、人間は石像のように固まるしかない。ゴロゴロ音を響かせて、降ろそうとする気力を根こそぎ削いでくる。これはもはや甘えではない、罠である。

気づけば予定より数分遅れて家を出ている。バスを一本遅らせ、電車は二本見送り、駅からは猛ダッシュ。汗だくの挙げ句に、待ち合わせに少し遅刻する。理由は「猫がかわいかったから」。社会的にはゼロ点の言い訳だが、個人的には満点である。
足がしびれて涙目になっても、動けない。いや、動かないんだ。猫が安心して眠っているのに、その幸せを壊す権利など私にはない。その尊さの前では、尿意すら小さな問題でしかない。
結果として、家族からは「なぜいつもギリギリに出るの?」と責められる。理由は猫だと堂々と言えない自分がいる。「すまん、猫が膝に」──そう正直に言えば、呆れられるのはわかっている。
けれど、もし友だちの遅刻理由が「猫がかわいかったから」だったなら、私は迷わず「それは大変だったね」と労いの言葉をかけるだろう。
「ごはん?」の一言に異常反応
猫と唯一成立する言葉のキャッチボール。それが「ごはん」という単語だ。
普段の会話では知らん顔をしているくせに、この単語だけは敏感。

猫:「にゃー」
私:「どうしたの?」
猫:(ガン見)
私:「暇なの?」
猫:(ガン見)
私:「ん?もしかして、ごは…」
猫:「にゃーーー!」
そして、袋を開ける音でもうスタートダッシュを決めてくる。クラウチングスタートで弾丸のように走り込んでくる姿は短距離選手顔負けだ。
洗濯物たたみ=邪魔される儀式
乾いたタオルを積み上げたその瞬間、猫が飛び乗る。毛まみれになるわ崩れるわで、人間の労働は一瞬で水の泡だ。
しかも「なにか問題でも?」という顔をしている。
「腹立つけど…かわいい…!!!」人間はどうあがいても猫には勝てない。

畳み終えたばかりのセーターに毛を植え付けることも日常茶飯事。
黒いパンツは特に標的にされやすく、外出直前に気づいて絶望する。
結局コロコロを片手に追いかけ回す羽目になる。
猫からすれば「これは遊び」なのかもしれないが、人間側は軽く膝から崩れ落ちる。
それでもタオルの山に丸まって眠る姿を見てしまえば、「まあいいか」となる。
被害総額より、目の前の尊さのほうが勝ってしまうからズルい。
猫の前では人間は無力
猫と暮らしていると、毎日の小さな行動がいちいちイベントになる。
伸びただけで感動し、箱に入っただけで歓声が上がり、膝に乗られただけで予定が狂う。
ごはんコールに翻弄され、洗濯物を荒らされる。
それでも不思議と「もう勘弁して!」とはならない。むしろ「今日もやってくれたな」とニヤニヤしてしまっている。
飼い主は猫の前では無力なのだ。
この記事のご感想をお寄せください!(コメントを書く)