踏まれる幸福、猫がわざと踏んでくる謎

踏まれる幸福、猫がわざと踏んでくる謎

はじめましての方もはじめましてじゃない方もこんにちは。

猫狂でミニマリストの阪口ゆうこです。 


猫と暮らしていると、数々の「なぜ?」と思う行動に出会う。

その中でも群を抜いて不可解なのが、「猫がわざと人を踏んで通る」という習性だ。

猫飼いの中では「あるある」なハズ。

きっと、今のこの瞬間も、猫にわざと踏まれている人が世界中にいるのだ。

「わざわざ」踏まれる幸せ

わが家の白猫は、歩くたびに「わざわざ」足を踏んづけていく。

リビングを横切る道なんて、左右にいくらでもあるのに、なぜか私の足を経由する。

「わざわざ」踏まれる幸せ

我が家は家具も少なく床は広々、ソファの周りも通路だらけ。

にもかかわらず、ピンポイントで人間の足の甲を狙ってくる。

「そこしか道がなかったの?」と問いかけても、「わざと感」が消えない。


さらに困ったことに、当の白猫は目をすっと細め、遠くの一点を見つめながら歩いてくる。

その視線は「え?足なんて見えてませんけど?」とでも言いたげ。

わざと踏んでいるのに「踏むつもりはないんです」という体裁を必死で保っている。

しかし、その演技はペラペラで、大根役者にもほどがある。


黒猫も負けてはいない。

ソファに座っていると、太ももの上を一歩、また一歩と確実に踏んでいく。

軽やかに飛び越えることもできるのに、わざわざ人間をルートに組み込む執念深さ。

通り過ぎる一瞬に残るのは、ほんのりとした足の感触。

少しひんやりして、爪がギュッと食い込む。痛いのに、なぜかうれしい。

踏まれた瞬間に喜んでしまうあたり、人間という生き物も相当なものだ。

踏まれた瞬間に喜んでしまうあたり、人間という生き物も相当なものだ。

そして時に、ふたりは窓際からお腹めがけてダイブしてくる。

上を通られるだけでも十分衝撃的なのに、これはもう別次元。

「踏みどころ」が悪ければ、声にならない声を上げてのたうち回る羽目になる。

それでも猫たちは冷ややかな視線を送ってくる。

結果、私は痛みを静かに受け入れるしかないのだ。


白猫も黒猫も、まるで示し合わせたように「わざと」踏んでくる。

その共通点があるとすれば、どこか何かをアピールしているような雰囲気を漂わせていることだ。

猫の「わざと踏む」の法則

観察を続けて気づいたのは、猫にはどうやら「通り道の美学」があるらしいということ。

彼らは最短距離を進むわけではない。

むしろ人間の体を経由することで、より楽しいルートを作り上げているように見える。


白猫は、部屋の真ん中を悠然と歩くより、わざと足を踏んで存在を誇示する。

黒猫は、家具を迂回するより、人間の太ももやお腹を足場にして次の場所へ跳躍する。

その一歩一歩が「ここにいるよ」「忘れるなよ」と言っているようで、ただの通過には思えない。

なぜ猫は踏むのか?仮説あれこれ

猫の「踏みつけ」について、驚くほどゆるいテンションで仮説を立ててみた。

①支配説

猫は人間を家具として認識している。

椅子やテーブルと同じように「ちょうどいい位置にあるもの」として扱っているのだ。

わざわざ踏むのは「お前は私の通路の一部」という支配のサイン。

まぁ、全然嬉しいけど。

②確認説

踏むことで「ここにいるな」「動くなよ」と確かめている。

飼い主をマーキングする代わりに、踏んで存在確認している可能性。

まぁ、その通りにするけど。

③アピール説

「遊んでほしい」「撫でてほしい」など、要求の前触れ。

わざわざ踏んでいくのは、無言のメッセージかもしれない。

もう、理由がこれだとしたらツンデレすぎ。

踏まれる痛みと幸福

実際に踏まれると痛い。

足の甲を踏まれれば骨に響くし、太ももに爪が食い込めば「ひゃあ!」と声が出ることもある。

お腹にダイブされた日には、野太い声と共に息が詰まり、一瞬走馬灯が脳内を駆け巡る。


だが不思議なことに、痛みと同時に「選ばれた」喜びも湧いてくる。

猫が数ある道の中から、あえて自分の体を経由した。

それは一種の信頼や甘えの表れにも見えるからだ。

だが不思議なことに、痛みと同時に「選ばれた」喜びも湧いてくる。 猫が数ある道の中から、あえて自分の体を経由した。 それは一種の信頼や甘えの表れにも見えるからだ。

よその猫事情はいかに

友人宅の猫は、寝ている飼い主の顔を狙って踏むのだという。

別の知人の猫は、必ず胸の上を通って枕元へ行く習性があるらしい。

ネット上には「うちの猫は心臓をピンポイントで踏んでくる」という嘆きもあふれている。


やはり「踏む猫」はわが家だけではなく、全国共通の猫あるある。

しかも踏み方や狙う場所に個性が出るのだから、比べてみるだけでも面白い。

謎は解けなくとも

猫がなぜわざと踏んでくるのか、答えは出ない。

支配なのか、確認なのか、甘えなのか。

あるいはすべてを含んでいるのかもしれないし。

猫がなぜわざと踏んでくるのか、答えは出ない。 支配なのか、確認なのか、甘えなのか。 あるいはすべてを含んでいるのかもしれないし。

ただひとつ言えるのは、猫に踏まれる時間は、痛みよりも幸福が入り混じった特別な瞬間だということ。

正直猫による「痛み」が幸せな節もあるので痛いのはどうでもいい。


「わざと感」満載のその足取りに「なぜ?」と首をひねりながらも、心のどこかで誇らしさを覚えてしまう。

「わざと感」満載のその足取りに「なぜ?」と首をひねりながらも、心のどこかで誇らしさを覚えてしまう。

猫は今日もわざと人間を踏んでいく。

その謎は永遠に解けないかもしれない。

けれど、踏まれる人生も悪くない…。

そう思えるから不思議だ。


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