愛猫と同じ言葉が話せたら、もっと分かってあげられることが多いのに…。猫と暮らしていると、そんな歯がゆさを感じることがあります。けれど、もし、愛猫と同じ言葉を話せたら、本当に今よりも愛猫と分かり合える関係性になれるのでしょうか。
私は、同じ言葉を話せないからこそ、人間と猫は深い絆を育めているように思えてなりません。
会話ができないからこそ、観察眼が磨かれる
同じ言葉を話せると、どうしても人は言葉でのコミュニケーションに頼り、相手の言葉をそのまま信じてしまうことも多いもの。そして、言葉は相手に上手く届けることが意外と難しい。
平気じゃないのに「大丈夫」と強がったり、本当は謝りたいのに、かえって相手を怒らせるようなことを言ってしまったり、言葉でのコミュニケーションは気持ちがすれ違ってしまうことも少なくありません。
一方、言葉を介さないコミュニケーションは心を知るために相手としっかり向き合う時間が増える分、本音に辿りつけやすいような気がします。
例えば、なんとなく愛猫の元気がないと感じた時。きっと彼らは同じ言葉を話せたら「大丈夫」とごまかすはず。彼らには、彼らなりのプライドがあると思うから。

でも、言葉を介さない関係だからこそ、私たち人間家族は「病気ではないか」と心配し、日常の様子を慎重に観察したり、動物病院へ連れて行ったりします。「大丈夫」という言葉が聞けないから、大丈夫である証拠を自分の手で見つけたくなるんですよね。

そんな風に、自ら積極的に動いて相手の心を理解しようとすることって、人間関係の中ではあまり見られない。だから、尊い行動だと思うし、そういう風に誰かを本気で思える自分がいると知れるのは少し嬉しい。

しかも、愛猫に向けるような観察眼って、言葉が繋がる者同士の間でも活きるもの。猫は気持ちを察する能力を身につけさせてもくれる。そう気づき、愛猫との静かなコミュニケーションがより愛しくなりました。
猫の「無言」からしか貰えない癒しがある
猫の中にはお喋りな子もいるけれど、ワンちゃんと比べると、猫って無言の時間が多い。私は、その沈黙が、とても好きです。

あわただしい日常の中で疲れ果てると、私は人と話すのが面倒になり、どんなに好きな相手でも、自分のテリトリーに侵入してこられると心が疲弊してしまいます。
同じ言葉を話せる人間同士だからこそ、そばにいてほしくない日ってある。疲れ切った心身に鞭を打って会話をするのは苦痛だし、かといって沈黙が続くと、なんとなく居心地が悪いから。
でも、そういう時、隣にいてくれる相手が猫だと心が楽。何も話さなくてもいいし、ただ、そっとそばにいるという愛猫の行動は”優しい愛情表現”のように感じられて癒されます。

愛猫は、「頑張ったね」とか「泣いていいよ」とか、ありきたりな言葉は使わずに、ただ寄り添うことで、ありのままの私を全肯定してくれる。どんなにみっともない姿を見せても変わらずそばにいてくれるから、愛猫の前では人間相手には見せられない弱気な自分やだらしない姿もさらけ出せます。

そういう安心感って同じ言葉を話せたら、きっと得られない。
「ここにいたいからいる」と行動で告げ、自分の隣にただいてくれる愛猫。その優しい愛情表現があるから、疲れた時に出てくる等身大の私は呼吸ができているように感じます。
愛を受け入れてもらえた時の喜びが大きい
昔から私は、綺麗な響きの言葉が嫌いです。「好きだよ」とか「愛してるよ」とか「ずっとそばにいるよ」とか、大切な人にこそ言われたくない。そういう言葉を聞くと、自分も同じ量の愛を相手に向けないといけないと感じて、苦しくなるから。
愛なんて目に見えないし、形もさまざま。頭ではそう分かっているけれど、「そう言ってくれる分、私も大切にしなきゃ」と力んだり、時には「甘い言葉だけ言えばいいと思わないで」と怒りたくなったり…。

言葉での愛情表現を嬉しく思う時もあるけれど、なんだか言葉だけで繋がっているような関係だなと冷めてしまいます。
でも、猫は違う。同じ言葉を話せないからこそ、一生、言葉だけで繋がっている関係にはならないし、言葉が通じない分、彼らとは心で繋がれているように感じます。
例えば、ハグひとつとってみても、猫は嫌ならちゃんと逃げてくれる。そういう忖度のない正直な反応を見ると、自分の愛を受け入れてもらえた時の嬉しさが大きい。
「大好き」という言葉は心が空っぽでも言えるけれど、警戒心の強い猫は本当に好きでないと触れ合いを許してくれない。

だから、人間不信をこじらせている私にとって、愛猫をギュっと抱きしめ、愛情を確認し合う時間は心から”愛”というものを感じられるひと時です。ああ、本当に相思相愛なんだなとしみじみ感じることができるから。
どれだけ人から言葉で肯定されても信じられないのに、愛猫がハグやキスを許してくれると、「私はこの世界に存在していてもいいんだ」とまで思える。私たち人間はもしかしたら、言葉に頼りすぎているのかも…。猫と暮らしていると、そう反省させられもします。

闘病時などは同じ言葉が話せないことがもどかしくなるけれど、私は自分が猫とは違う言葉を話す生き物でよかったと思っています。

言葉が交わせない中、愛猫たちと育んできた10年来の絆はきっと固くて、重い。その尊さをしっかり自覚して、この先も愛猫たちと無言の会話を楽しんでいきたいな。
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