“家に帰れなかった私”を救ったのは猫だった 愛猫との暮らしで変わった帰宅への価値観

“家に帰れなかった私”を救ったのは猫だった 愛猫との暮らしで変わった帰宅への価値観

愛猫が家で待っている。それは猫飼いにとって、一番強い帰宅理由になると思う。私は生まれ育った家庭が結構、刺激的だったので、“出先から家に帰る“という行為に苦痛を感じていました。

でも、愛猫たちと暮らし、自分を待ってくれている存在ができたことで、“家に帰る”という行動を選ぶ時の苦しさが激減しました。

移動手段が”母の送迎”のみだった思春期

私が生まれ育ったのは、車がないとどこにも行けないド田舎。周りのみんなは車を持つまで自転車で移動。ただ、生まれつき心臓に持病がある私はすぐ息があがるので、自転車に乗って移動することができず、通学すら親に送り迎えしてもらう日々でした。

リモートワークがない時代に仕事もせず、送り迎えに徹してくれた母への感謝はもちろんあります。でも、成長と共に、母を介さないとどこにも行けないことへの息苦しさが募っていきました。

リモートワークがない時代に仕事もせず、送り迎えに徹してくれた母への感謝はもちろんあります。でも、成長と共に、母を介さないとどこにも行けないことへの息苦しさが募っていきました。

学生の頃って、親に内緒で気になる男子と花火大会に行く!…みたいなイベントも起きますよね。陰キャの私も、そうしたありがたいイベントに恵まれる機会がありました。

ただ、私の場合はまず、親の許可がないと花火会場に辿り着くことができません。自宅から駅まで行くのには車でも15分かかるので、公共交通機関に頼るのも難しい状況でした。

「気になる子がいて、一緒に花火大会に行きたいんだけど…」と、親に言えたら楽だっただろうな。うちの母は、娘の恋愛ごとを嫌悪するタイプ。男の子の名前を出した途端、表情が険しくなり、“あなたが大切だから“という理由から車を出してもらえないこともありました。

「気になる子がいて、一緒に花火大会に行きたいんだけど…」と、親に言えたら楽だっただろうな。うちの母は、娘の恋愛ごとを嫌悪するタイプ。男の子の名前を出した途端、表情が険しくなり、“あなたが大切だから“という理由から車を出してもらえないこともありました。

思春期真っただ中の私にとって、移動や交流を制限されることは一大事。母に反抗しても、結局、自分の移動手段は母の車しかないので、なんとか母の機嫌を損ねずに車を出してもらう方法を考案。

友人の名前を出し、頭の中で作り上げた架空の友人とのエピソードを母に話すことで移動手段を得るようになりました。

学生時代のトラウマから”外出後の帰宅”が怖くなった

でもね、高校生が考えた嘘って、やっぱりバレるんです。ある日、私は「友達とお泊り会する」という嘘をつき、彼氏と初めてのお泊りをしました。しかし、迎えの車の中で母からされた質問に凡ミスな答えをしてしまい、嘘が露呈。

その件以降、母からメールをチェックされ、家から簡単に出られない日々を過ごすことに。まさに、かごの中の鳥です。

その件以降、母からメールをチェックされ、家から簡単に出られない日々を過ごすことに。まさに、かごの中の鳥です。

そういう学生時代の傷つきからか、車を持ってからも、外出先から家に帰る時に心がザワザワするようになりました。移動手段を得て、もういつでも外へ出られるのに、家に帰ると、また家から出られなくなるんじゃないか…という不安がこみ上げてくるんです。

そういう学生時代の傷つきからか、車を持ってからも、外出先から家に帰る時に心がザワザワするようになりました。移動手段を得て、もういつでも外へ出られるのに、家に帰ると、また家から出られなくなるんじゃないか…という不安がこみ上げてくるんです。

実家に住んでいた頃は車を持っていても、外へ出ていられるタイムリミットは午後7時。家族みんなが自分と同じ行動を取らないといけないというこだわりを持っている父が、夕食の時間に家族が揃わないと機嫌が悪くなるから。

そういう時は父の怒号に、うんざりした母から「帰ってこいコール」が来るので、心がザワついたまま、無理やり帰宅していました。

猫を迎えたことで”帰宅”への恐怖心が和らいだ

結婚し、実家を出てからは人生初めて、“人に管理されない生活”が始まりました。夜まで外出していても、誰にも怒られない感覚が不思議で嬉しくもあり、あえて夜に外出する日も増えました。

それでも、やっぱり帰宅時になると、心はザワザワ。家に帰れる気持ちではなくなり、スーパーやコンビニの駐車場で時間をつぶすようになりました。

そういう生きづらさを和らげてくれたのは、愛猫たち。猫はマイペースだから、私がいなくても寂しくないだろう。むしろ、ひとりで過ごせるほうが快適かもしれない。愛猫を迎えた当初はそう思っていましたが、一緒に暮らす中で、その考えは一変。

そういう生きづらさを和らげてくれたのは、愛猫たち。猫はマイペースだから、私がいなくても寂しくないだろう。むしろ、ひとりで過ごせるほうが快適かもしれない。愛猫を迎えた当初はそう思っていましたが、一緒に暮らす中で、その考えは一変。

仕事から帰宅すると、愛猫は駆け寄ってきて足元でスリスリ。一緒にいなかった時間を埋めるかのように、そばに寄り添い続けてくれました。

そういう行動を見ていると、「私みたいな存在でも求めてくれる子がいる」と思えて嬉しかったし、「この子が嬉しい気持ちで過ごせるように、早く家に帰ろう」と思うようになりました。

そういう行動を見ていると、「私みたいな存在でも求めてくれる子がいる」と思えて嬉しかったし、「この子が嬉しい気持ちで過ごせるように、早く家に帰ろう」と思うようになりました。

初めの頃はコンビニに一度寄って数十分ほど時間をつぶして、心を「帰ろう」の方向にもっていかないと帰宅するのが難しいこともありましたが、時間の区切りなく、ダラダラと帰宅時間を伸ばすことはなくなっていきました。

人間がいない空間に向かって言う「ただいま」

最初の愛猫ジジを迎えた当時、私はパートタイマー。夫より帰宅時間が早かったので、帰宅時に「ただいま」と言うことはありませんでした。でも、私の帰りを心待ちにしてくれているジジと過ごすうちに、「この子に向かって、ただいまって言いたいな」という気持ちが自然とこみ上げてきた。

人間が誰もいない空間に向かって「ただいま」を言うのは、人生で初めての経験。最初の頃は不思議な感じでしたが、声に反応して駆け寄ってきてくれるジジを見ると、「言うようになってよかった」と思いました。

あれから10年以上経った今も、愛猫たちに向けての「ただいま」は続いています。ライター業に就いたことで、そもそもあまり外出をしなくなったけれど、買い物から帰ってきた時などには、ごく自然に「ただいま」が出る。自分の変化に、「変わったなあ」と自分で驚く時があります。

あれから10年以上経った今も、愛猫たちに向けての「ただいま」は続いています。ライター業に就いたことで、そもそもあまり外出をしなくなったけれど、買い物から帰ってきた時などには、ごく自然に「ただいま」が出る。自分の変化に、「変わったなあ」と自分で驚く時があります。

愛猫たちが待っているから、帰らなきゃ。その心地よい焦りに帰宅を促される瞬間が、私は好き。“我が家で過ごす時間”を好きになれたのも、愛猫たちの存在があってこそ。

元気な声で鳴きながら、帰宅した私に駆け寄ってきてくれる愛猫たちを見るたび、私は生まれ育った家庭にはなかった“家族愛”を感じるのです。

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