はじめましての方もはじめましてじゃない方もこんにちは。猫狂でミニマリストの阪口ゆうこです。
自分の人生を振り返って、かなりのファインプレーだったと思うのは以下の3つです。
①ものを減らして家を整えたこと。
②今の家族を作ったこと。
③猫を招いたこと。
振り返りながら、お酒呑めます。自画自賛と自慢話でかなり量が進みそうです。
その中でも③ですね。これは本当にクリーンヒットでした。
猫と暮らして5年が経つ今でも、「やだ…アタシったら猫と暮らしてるぅ!家に帰ったら猫がいるぅ!」などと、改めて大喜びして、自分の人生を称賛することがあります。
そんな感じで、もうすでに「切り離せない」関係の猫と私なのです(向こうはなんとも思ってないでしょうけど)。
しかしまあ、なんでこんなにハマってしまったのだろうと考える時があります。
いわゆる「恋」に近い感覚で、「好き」が先にきて「理由」は迷子。そばにいることにムキになって、身も心も捧げてしまいそうになるのです。
触れていたくて家から出なくなり、予定が狂い、時間もお金もかかり、猫たちが、天使なのか悪魔なのかわからなくなることがあります。
今日は「私がなぜこんなに猫が好きなのか」分析してみます。
いつ何時でも愛くるしい目

好きなものを見ている時と苦手なものを見ている時、人間の目は大きな印象の違いがありますよね。
好きなものを見ている時は通常時の1.5倍くらいに見開いて、キラキラと光り輝いています。
逆に「苦手なものを見ている時」の目は、通常時の半分ほどくらいしか開いておらず、全体的な印象として淀みが否めません。
しかし、猫の目はちがいます。
どんな時もどんなものを前にしても無条件にかわいいです。
ごはんをおねだりする時やおもちゃを前にした時はもちろん、まんまるでキラキラしていてかわいい。
満腹で誰にも構ってほしくないそぶりの時も、退屈で「オラ、遊べや」とPCの上で仕事を妨害する時の目も、キャットタワーの一番上から見下ろされている時も、まんまるで吸い込まれそうで可愛いです。
実用性ゼロに思われるクリームパンのような手
人間の観賞用として備わっているとしか思えないのが猫の手です。ちょこんと手を揃えて目の前に座られると、理性がぶっ飛びそうになるのは私だけでしょうか。
新種のクリームパンのような、ふっくらと柔らかそうな手を見ると、だらしなく口角が上がり、思わず体が引き寄せられてしまいます。

そのホワホワした猫の手に顔を近づけて、バターのようなポップコーンのような、柔らかな香りを嗅ぐのですが、鼻が触れるギリギリのところで「猫砂をかいている時にうんこに触れてたな…」と理性が勝ちます。
サイレントにゃーを含む、鳴き声全般の破壊力

人間は、赤ちゃんの声を聞くと反射的に「助けなきゃ」「お世話をしなきゃ」という気持ちになるようにできているそうです。
これは、世話を焼かせるための天才的な仕組み。
そして、その赤ちゃんの声と猫の声が、驚くほどそっくりだと私は思っています。
猫って、もしかしたら人間を奴隷にするために戦略的に進化してきたのではないでしょうか。
まんまとあのかわいい声にだまされ、私は今日も「何が欲しいの?」「どうして欲しいの?」とご機嫌を伺い続けてしまうのです。
なるほど、赤ちゃんも天才だけれど、猫も同じように天才なのです。
その知能と可愛さで、今日も私を思い通りに動かしているのです。
白猫の、声を出さずに鳴くサイレントニャーも私は大好物です。
この子はお腹が空いたときにしか鳴かないのですが、目が合うとほんの少しだけ口を開き、かすれた声で「…ャッ」と鳴きます。
本当に滅多に鳴かないので、「ねえ、もう一回言って」と話しかけると、今度はさらにボリュームを絞って、口だけ開けて鳴いている素振りだけを見せてくるのです。
これはもう、ある種のツンデレではないでしょうか。
一度だけちょっとサービスして、その後は餌をくれないという究極のしたたかさ。
そして私は、まんまとそれにハマってしまう飼い主です。
出かけるのをやめさせる魔法──ゴツン!ぐりぐり

なぜか、家で一緒にいるときは知らん顔だったり、無視されたり、ほっとかれたりする――いわゆる放置プレイを受ける飼い主の私。
ところが、みなりを整えて髪型をセットし、日焼け止めまで塗って、さてそろそろ出かけようか…という時間の5分前あたりから、我が家の猫たちは動き出します。
これは、飼い主を外出させないための罠です。
なぜ出かけるときだけ、こんなにすり寄ってくるのか。
まず頭を「ゴツン!」と私の足にぶつけ、さらに「ぐりぐり!」と頭をこすりつけてくるのです。
これがまあ、たまらない。ぶつかり稽古のように思いきりぶつかってくるけど、そこはやはり毛玉。痛くもかゆくもない。むしろほわほわで気持ちがいい。
「にゃー(どこ行くんだ?)」
「にゃー(遊ぼうぜ)」
「にゃー(俺ら置いて行こうとしてるの、いい度胸だな)」
令和の猫界のジャイアンです。
予定があるのに、空き地の草野球に無理やり参加させられるあの感じ
猫なら、せめて立ち位置はドラえもんであれと心から思います。
そして、そのままジャイアンをひょいと抱き上げてしまい、せっかく準備した洋服を毛まみれにしてしまう私。
めったにないサービスを受けると、その場で立ち止まってしまうのです。
だから私は「早めに出かけるふり」をしてフェイクをかける作戦を考えました。
しかしそれすら見透かされているらしく、本当に出かけなければならない5分前にならないと、猫たちは動きません。
もしかして時計が読めるのか。
それとも会話をすべて理解しているのか。
今日も私は彼らを疑いながら、まんまと足止めを食らっています。
理屈じゃない猫の可愛さ
結局のところ、猫が可愛い理由なんて、理屈では語りきれません。
気づけば今日も予定を遅らせ、服を毛だらけにし、財布のひもを緩め、ソファから動けなくなる私。
それでも心は満たされっぱなしで、これこそが人生のファインプレーに違いありません。
たぶん私は、この負け戦を一生続けていくのでしょう。
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